朝鮮王朝には518年間に27人の国王がいた。最高の名君としてよく知られているのは、4代王・世宗(セジョン)と22代王・正祖(チョンジョ)である。この2人は文句なしだ。
この名君以外にも、9代王・成宗(ソンジョン)、19代王・粛宗(スクチョン)、21代王・英祖(ヨンジョ)が、政治的な業績がとても多かったと言われている。
その反対に、国王になったばかりに国民を不幸にさせてしまったダメな人間も何人かいる。そうした中から究極の3人を選んでランキングをつけてみた。
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この3人が無理に国王になっていなければ……。
朝鮮王朝はもっといい国になっていたはずなのに。
朝鮮王朝の暴君といえばダントツで評判が悪いのが燕山君(ヨンサングン)だ。酒池肉林に明け暮れ、母の死罪に関係した官僚を大勢虐殺し、浪費で国家財政を悪化させた。どうしようもなく非道な国王だ。1506年にクーデターで王宮を追われて島流しにあったのも当然だ。しかし、「ダメな国王」となると、さらに上がいる。それで、今回は3位となった。
政治的に有能だった15代王・光海君(クァンヘグン)を個人的な恨みで廃位に追い込み、仁祖(インジョ)は自ら王位に就いた。ところが、とんでもない「ダメな国王」だった。失政ばかり行なって王朝を衰退させ、北方の後金(後の清)との外交で大失敗をしでかした。王朝存亡の危機を招いた張本人だ。絶対に国王になってはいけない人物だった。
燕山君の廃位にともなって国王になったが、途端に最愛の妻であった端敬(タンギョン)王后を離縁せざるをえなかった。即位に貢献した高官の意見に逆らえなかったからだ。そのあげく、三番目の妻であった文定(ムンジョン)王后の悪事を見逃し、彼女が女帝として君臨するきっかけを作ってしまった。中宗の死後、干ばつで餓死者が続出したのに文定王后は何の対策も取らずに見殺しにして賄賂政治を蔓延させた。最悪の王妃を生み出したという意味で、中宗の「ダメな国王」ランキングは1位となった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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