扶余に来たら、やはり扶蘇山(プソサン)には登りたい。幹線道路に戻り、聖王の銅像を右に曲がると扶蘇山の入り口である泗泚門(サビムン)がある。泗泚は扶余の旧地名である。そして山城でもある扶蘇山は、泗泚城とも言われた。
扶蘇山は市街地の方は比較的なだらかな上り坂になっている。山城の址であったことを示す土盛りや軍倉址などを見ながら、整備された山道を進んでいく。
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扶蘇山の一番高い所には泗泚楼という楼閣があるが、周囲を木に覆われて、下界を見ることはできなかった。
気を取り直して、百花亭(ペッカジョン)に向かう。ここは扶余が陥落した時、宮女約3000人が辱めを受けるのを恐れ、岩の上から河に身を投げた所だ。
その様は、まるで花が落ちるようであったことから落花岩(ナッカアム)と呼ばれている。百花亭は、落花岩の上に立つ東屋である。
百花亭からは、錦江がよく見える。錦江は扶余付近では、百済最長の河という意味で「白馬江(ペンマガン)」と呼ばれている。
その名のイメージ通り、河川敷には白い砂場がある。ただ以前に比べると、白い砂地は随分少なくなった感じがした。
実際飲料水などを売る売店のおばさんに聞くと、「そう、かなり少なくなったのよ。それに木が高くなって、以前より河が見えにくくなった」と言っていた。
宮女たちが白馬江に身を投げた話からも分かるように、扶蘇山の河に面した斜面はかなり急だ。その山道を下りると、皐蘭寺(コランサ)がある。
この寺は、命を落とした宮女たちの霊を弔うため、高麗時代に建てられたと言われている。
寺の壁には、唐・新羅連合軍に追い詰められ、宮女たちが岩から飛び込む様子が描かれている。花のように美しい宮女たちの非業の最期は、百済滅亡の悲劇を如実に物語っている。
文・写真=大島 裕史
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