【深発見26】日本の古代史研究にも重要な意味を持つ王興寺址

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2009年の夏、9年ぶりに扶余に行った。扶余に行くのは3回目であるが、今回は是非王興寺址に行こうと思っていた。そこで、扶余の市外バスターミナルの近くからタクシーに乗って、王興寺址に向かった。

 王興寺址に行くには、一度錦江を渡らなければならないが、運転手は一向に渡る気配がない。そのことを指摘すると、

「王陵寺(ワンヌンサ)じゃないのか? 王興寺? そんな寺、ないですよ」と素っ気ない。日本のメディアではかなり取り上げられている王興寺であるが、地元での認知度は高くないようだ。

王興寺の説明をして、とにかく扶蘇山の対岸に行くように依頼すると、運転手も半信半疑で橋を渡り、錦江沿いの舗装されていない細い道を進んだ。

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田畑や草むらの中を走っていると、本当にあるのか、私も若干不安になったが、しばらくすると、発掘現場が見えてきた。

現場はまさに発掘作業中という感じで、掘られたり、シートがかぶされたりしていた。ただ発掘面積の広さから、王興寺がかなり大きい寺院であったことは想像できた。

王興寺址

この土地は、つい数年前まで田畑だったという。今は田畑や草むらに囲まれたこの地に、日本にも影響を及ぼした大寺院があったことを想像するだけでも、古代史のロマンが広がる。

660年、百済の王朝は唐・新羅連合軍によって滅ぼされ、扶余は焼き尽くされた。そのため王都の痕跡の多くは、土の中に眠っている。

今まさにその歴史を掘り起こす作業が進められている。その成果は、日本の古代史研究にも重要な意味を持つことは間違いない。

文・写真/大島 裕史

大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。

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