繁華街の大通りをしばらく歩き、高麗宮址の標識に従って、右折する。この路地には、実に数多くの歴史が詰まっている。
路地を歩いていると、韓国式住居独特のかなりしっかりとした石の塀が見えてきた。案内板には、「龍興宮(ヨンフングン)」と書いてある。朝鮮王朝第25代国王である哲宗(チョルジョン)が王位に就く前のしばらくの間、暮らしていた所である。
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私が行った時は補修工事中で、残念ながら中に入ることはできなかったが、さほど大きくはないものの、格式ある黒瓦の伝統家屋という感じだった。
しかし黒瓦になったのは、哲宗が王位に就いた後であり、江華島に住んでいた時は、茅葺きの質素な家だったようだ。
哲宗は、ドラマ『イ・サン』でお馴染みの第22代国王・正祖(チョンジョ)の弟・恩彦君(ウノングン)の孫である。
第22代国王である正祖は名君であったことは確かで、様々な改革を行った。ただしそのことは、高級貴族の人たちにとっては、既得権益を奪われ、自分たちの存在を危うくするものだった。
そのため正祖が亡くなった後は、優秀な王族には様々な陰謀がかけられ、処刑されたり、失脚させたりした。哲宗の兄は、そうした陰謀で処刑され、哲宗もそれに連座して江華島に流されたのだった。
当時朝鮮王朝では、王の外戚が権力を握り、政治を私物化する「勢道政治」が猛威をふるっていた。そして、王の外戚の座を巡る権力争いも激しかった。
第24代国王の憲宗(ホンジョン)が世継ぎを決めないまま死亡すると、「勢道政治」の中心にいた安東金(アンドン・キム)氏は、哲宗を担いで王とした。哲宗は18歳で王位に就いたものの、実質的な権力は安東金氏にあり、精神的には不遇のうちに32歳で亡くなっている。
哲宗が王位にいた1849年から63年の間、東アジアは激動の時代を迎えていた。
日本ではペリーが来航して開国し、幕末へと向かっていた。清では太平天国の乱に続き、アロー号事件が起き、弱体化が進んでいた。
朝鮮では相変わらず権力闘争に明け暮れていたが、近海には外国艦船が出現するようになり、国内では民乱が頻発しており、嵐は目前に迫っていた。
近世から近代へと移行する時代の嵐の中で、その中心舞台となったのが江華島であった。その過渡期の王がこの島に流されていたことに、歴史の因縁を感じる。
文・写真=大島 裕史
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