1661年に生まれた粛宗(スクチョン)は、1674年に19代王として即位した。彼は、政治的にとても有能な王だった。農地を整備し、商業を奨励した。同時に、貨幣鋳造事業も行なっている。粛宗の統治時代に庶民の生活が向上したことは間違いない。
粛宗の最初の正室は仁敬(インギョン)王后である。彼女は3 人の王女を産んだのだが、1680年に19歳で亡くなった。
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二番目の正室となったのが仁顕(イニョン)王后で、彼女には子供ができなかった。
そして、三番目の正室が張禧嬪(チャン・ヒビン)だ。彼女は側室だった1688年に粛宗の長男を産み、その翌年に王妃に昇格している。
しかし、張禧嬪の栄華は長続きしなかった。粛宗が新しい側室の淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)を寵愛するようになったからだ。この淑嬪・崔氏はドラマ『トンイ』の主人公のモデルになった女性だ。
その後も粛宗の女性遍歴はめまぐるしく変わった。1694年に張禧嬪が側室に降格となり、空いた王妃の座に仁顕王后が復位した。一度廃妃になった女性が再び王妃になるというのは前代未聞のことだった。
それから7 年後の1701年、仁顕王后が世を去った。このときに大事件が起こった。張禧嬪が仁顕王后を呪詛(じゅそ)した罪に問われて死罪になったのだ。
以後、粛宗は四番目の正室として仁元(イヌォン)王后を迎えた。
結局、粛宗の女性遍歴は王朝を揺るがす重大事件に発展することが多かった。そんな中で、粛宗は自分の我を通し、自分の思いのままに王宮の人事を操った。
それができたのも、彼には強い王権があったからだ。27人いる朝鮮王朝の国王の中で、粛宗は一番したたかな国王だった。
そんな粛宗をドラマ『トンイ』ではチ・ジニが演じた。彼が扮した粛宗は人間味があって、正しい政治を行なう名君であった。実際の粛宗より美化されていたのは間違いないが、それでもチ・ジニは温かみをもって粛宗を誠実に演じていた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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