イ・サンこと22代王・正祖(チョンジョ)が危篤に陥ったのは1800年6 月28日であった。
正祖の病床は沈痛な雰囲気に包まれた。
ここで、看病と称して突然現れたのが貞純(チョンスン)王后であった。彼女は、正祖の父が米びつに閉じ込められて餓死した際、裏で動いた黒幕の1人だった。
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しかし、即位後の正祖も貞純王后を処罰することはできなかった。祖父であった21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だったからだ。形のうえで、貞純王后は正祖の祖母にあたる人であった。
彼女は、正祖がさまざまな政治改革を進めている間、ほぼ謹慎のような生活をしていた。表立って目立つことを避けていたのだ。
しかし、正祖が危篤になると急に病床に姿を見せ、側近たちを叱りつけた。
「先王(英祖)の症状と似ている。先王は治ったので、そのときの薬を調べて殿下(正祖)に処方してさしあげよ」
それでも、側近たちがグズグズしていると、貞純王后はこう言い放った。
「私が直接薬をさしあげるから重臣たちは下がっていなさい」
王族最長老の女性にこう言われてしまっては、重臣たちも引き下がるしかない。
結局、病床の正祖のそばには貞純王后だけになった。
重臣たちが部屋の外で待機していると、突然、貞純王后が慟哭する声が聞こえた。あわてて重臣たちが駆けつけると、正祖は息絶えていた。つまり、正祖を看取ったのは貞純王后1人だった。
ここから、貞純王后が正祖を毒殺した、という風評が立つようになった。実際、正祖が亡くなって一番利益を受けたのが貞純王后だった。
王位は正祖の息子の純祖(スンジョ)が継いだが、まだ10歳だったので、貞純王后が摂政となった。それから彼女は何をしたか。
政敵にカトリック教徒が多いという理由で、信者の大虐殺を行なった。さらに、正祖が進めていた改革をことごとくつぶしてしまった。
これが、史実のありのままだ。しかし、ドラマ『イ・サン』では、韓国人ならよく知っている正祖の毒殺説を採用しなかった。イ・ビョンフン監督が、毒殺説で物語が終わってクライマックスがドロドロするのを避けたからだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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