『トンイ』よりも壮絶だった史実。明聖大妃はどのように亡くなったのか

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韓国時代劇ドラマ『トンイ』に登場する朝鮮王朝19代王の粛宗(スクチョン)の母親は明聖(ミョンソン)大妃だ。

彼女が息子の王位を磐石にするために執念を燃やしたのが、粛宗が寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)を追い落とすことだった。

「あの女は絶対に災いをもたらす」。そう言って徹底的に毛嫌いしていた。そのあたりは、時代劇『トンイ』でも前半の主要なストーリーに組み込まれていた。

『トンイ』ではキム・ヨンエが明聖大妃を演じた(写真出典=MBC『トンイ』放送キャプチャーより)

明聖大妃は常に王室の中心を歩いてきて、どんな人間が権力を狙って暗躍するかを骨の髄まで知り尽くしていた。

だからこそ、彼女は野心がありすぎる女性を警戒したのである。

確かに、息子の粛宗は若くして王位に就き、高官同士の闘争が激しくなる中でも、王権の強化に一応の成果を見せていた。

それなのに、特定の側室に心を奪われてしまったら、その後の王室がどんなに混乱することか。そのことを心配した明聖大妃は、張禧嬪を目のかたきにした。

ただ、粛宗のことをいたわりすぎる気持ちが、かえって自分の寿命を縮める結果になってしまった。

それは1683年のことだった。

突然、粛宗が原因不明の病で重い症状に陥った。主治医も治療法を見つけられなかった。
助けたい一心で巫女(みこ)にすがった明聖大妃は、「大妃様の体内にわざわいが入っていて、それが王様を苦しめています」と言われた。

災いを解き放す方法は水浴びだけ。そう指示された明聖大妃は真冬にもかかわらず何日も冷たい水を浴びた。これが良くなかった。がからだを衰弱させて、明聖大妃は床に伏せるようになった。

その反対に、粛宗は病気が治り健康を取り戻した。明聖大妃は自分のからだを身代わりにしたのである。

【写真】トンイの子役時代を演じた天才子役は今、どうしているのか

こうして明聖大妃は、わずか41歳でこの世を去った。

彼女は最期まで粛宗が張禧嬪に籠絡(ろうらく)されないことを願い続けていた。結局は、その強すぎる気持ちが命を縮める結果になった。

とはいえ、最愛の息子が助かったのだから、母親としては本望だったことだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)
 

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