『100日の郎君様』では、後半の佳境に入ってきて、国王が悪徳高官のキム・チャオンを排除しようとする。ここで、国王と高官の関係が最悪になったわけだが、そういう出来事は朝鮮王朝の歴史でも何度かあった。
一番有名なのが、11代王の中宗(チュンジョン)が、当代随一の高官だった趙光祖(チョ・グァンジョ)を排除した出来事だった。
趙光祖はキム・チャオンのような悪徳高官ではなく、理想主義に燃えた希代の家臣だったのだが、中宗が疑い深い性格なので嫌われてしまったのである。
その事件を見てみよう。
趙光祖は民を統治する王の心構えを中宗によく説いていた。その理念に魅了された中宗はますます趙光祖を信任するようになった。
しかし、趙光祖をねたむ高官たちも多かった。そんな人たちは、趙光祖の失脚を狙った。その実行計画は実に手が込んだものだった。
何をしたかと言うと、王宮に繁った葉の一つに蜂蜜で「走肖為王」という文字を書いたのだ。
しばらくして虫が蜂蜜の部分だけを食べると、鮮明に文字が浮かびあがってきた。「走肖」とは「趙」のことであり、この四つの漢字には「趙光祖が王になる」という意味が込められていた。
この葉を仕込んだ者たちが、意図的に大騒ぎを始めた。
「趙光祖が王位を狙ってわざと葉っぱに細工をしたのだ」
その騒ぎは中宗の耳に入った。
臣下の趙光祖が王位に就く、という内容に中宗が不快感を示した。その空気を逃さず、趙光祖の対抗勢力は中宗に訴え出た。内容は、「趙光祖の一派が政権の要職を占め、本当に王位を狙うかのような動きを見せている」というものだった。
疑心暗鬼に陥った中宗は結局、趙光祖の断罪を決断せざるをえなくなった。
自分がもっとも信頼した側近だったが、最後まで趙光祖をかばうことができなかったのだ。そういう意味では、中宗はあまりに優柔不断すぎる王でもあった。
趙光祖の処罰が決まると、全国の儒生(儒教を信奉する学徒)が大挙して王宮の正門前に来て趙光祖の無実を訴えた。それほどまで彼が慕われていたことは、むしろ中宗には恐怖だった。このまま趙光祖が政権内部にいれば、人望を生かして本当に王位を奪いかねないからだ。
結局、趙光祖は中宗の命令で1519年に死罪となった。
一方、『100日の郎君様』では本当に王位を狙っているキム・チャオンはどんな運命になるだろうか。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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