NHKの総合テレビで毎週日曜日の夜に放送されている『100日の郎君様』は、いよいよ後半に入っていく。
前半では、世子(セジャ)のイ・ユルが暗殺の危機に陥り、九死に一生を得て村人のウォンドゥクに生まれ変わる。そうした変化をド・ギョンスが巧みに演じ分けていた。
それにしても、ウォンドゥクはホンシム(ナム・ジヒョンが演じている)と結婚しているのだが、生活感がまったくなく、薪割りすらできない。これでは、村の生活には到底なじめない。もとは世子なので仕方がないのだが‥‥。
そもそも、朝鮮王朝の王子というのは王宮で生まれ育つので、庶民の生活はまったく知らない。
しかし、王子も結婚すると、王宮を出て町の中で住まなければならない。そのときに、ようやく庶民の生活を知り、自分も普通の人にまじって必死に生きなければならないのだ。
それとは違って、世子だけは結婚しても王宮に住み続け、次代の国王に備えなければならない。
外出するのは、歴代の国王の墓参りに行くときだけだ。あとは、ひたすら王宮の中で生活する。つまり、一生、庶民の暮らしを知らないままなのだ。
ド・ギョンスが演じるイ・ユルもそのまま陰謀もなく国王になっていれば、庶民の生活に触れることはなかった。ましてや、田舎に行くことは絶対にない。
しかし、『100日の郎君様』のイ・ユルは記憶喪失になってウォンドゥクに姿を変えた。いやでも、村の生活になじまなくてはならない。
これは本当に貴重な経験になったことだろう。
展開からすると、いずれはウォンドゥクがイ・ユルに再びなって王宮に戻ることが必然だろう。そのときにイ・ユルは世子として、どのように振る舞うのだろうか。
今までの世子と違って、庶民の生活を熟知している。もし国王になったら、人々の暮らしを向上させる名君になることだろう。
そういう意味で、『100日の郎君様』というストーリーは、世子を名君に成長させるドラマだと言えるだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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