韓国時代劇『トンイ』でチ・ジニが演じた19代王・粛宗(スクチョン)。彼が即位してから20年が経った1694年、彼は5年前に廃妃にした仁顕(イニョン)王后を再び王妃に戻す決心をした。
仁顕王后の王妃への復活は、多くの高官たちに歓迎された。それほど彼女には人望があったのだ。
それは、1694年4月12日のことだった。
粛宗は仁顕王后を再び王妃に迎えるにあたり、自分の胸のうちを明かした。
「最初は奸臣(かんしん)たちにそそのかされて間違って処分してしまったが、ようやく本当のことを悟った。恋しくてもどかしい気持ちは時間が経つごとに深くなり、夢で会えばそなたが余の服をつかんで涙を流していた。起きてからそのことを考えれば、1日がむなしいばかりだった。そのときの心境をどうやってそなたが知るというのか」
かなり言い訳がましいが、粛宗の言葉はさらに続く。
「昔の縁を再び結ぼうとしたのだが、国家に関わることを処置するのは簡単ではない。辛抱して6年が経ったが、ようやく凶悪な者たちを処分することができたので、そなたをこうして移すことができるようになった。この後、再び会えるときがないとはどうして言えようか」
まわりくどい言い方をしながらも、粛宗は仁顕王后を再び王妃に戻す喜びを素直に語った。
それまでの朝鮮王朝の歴史の中で廃妃になった王妃は何人もいたが、再び王宮に戻ってこられたのは仁顕王后が初めてである。
まさに人徳の賜物だが、その一方で、人徳のない張禧嬪は王妃の座を明け渡さなければならなくなった。
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粛宗は次のような覚書を出した。
「国運が安泰を取り戻し、中殿(チュンジョン/王妃のこと)が復位した。民の上に君主が二人いないのは、古今を通じての道理だ。張氏(チャンシ/張禧嬪のこと)は王妃から変わり、再び『禧嬪』というかつての号に戻る。世子(セジャ)はそのままにして廃しないようにせよ」
粛宗が語った世子は1688年に張禧嬪が産んだ王子のことで、粛宗の正式な後継者になっていた。
つまり、粛宗は張禧嬪を側室に降格させても、彼女が産んだ息子の世子の資格はそのままにせよ、と言っているのだ。この世子が後に粛宗のあとを継いで20代王の景宗(キョンジョン)となった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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