『華政』ではチャ・スンウォンが演じた光海君はどんな人物だったのか

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テレビ大阪で放送されている『華政(ファジョン)』は根強い人気を誇る韓国時代劇だ。この作品で前半に出番が多かったのが光海君(クァンヘグン)だった。

この15代王は、後にクーデターで王宮を追われているので暴君と思われていたが、実は政治的には大変な名君であった。

そのことがよく知られるようになってから、韓国時代劇のファンの間でも、光海君は国王の中でナンバーワンと言えるほどの人気者になった。

改めて人物像を見てみよう。

1608年、光海君は15代王として即位した。彼を支持する一派は、王位の安泰のために血の粛清に乗り出した。兄の臨海君(イメグン)を配流したうえで自決させ、弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)も殺し、父(宣祖)の継妃だった仁穆(インモク)王后を幽閉した。

ドラマ『華政』ではチャ・スンウォンが光海君を演じた

こうして光海君の王位は磐石になったと思われたが、結果は逆だった。血の粛清の過程で光海君は多くの政敵をつくることになってしまった。

政治的には、光海君は戦争で荒廃した国土の復興に尽くし、民生の安定に力を注いだ。さらに、国土の北側に位置する異民族国家の後金とも巧みな外交を展開した。

この成果は大いに誇っていい。

しかし、光海君の側近たちが悪評を受けるようになると、兄弟たちを殺害した過去が蒸し返され、光海君を王から引きずりおろそうとする動きが活発になった。

1623年、クーデターによって光海君は宮廷から追放された。その結果、クーデターを主導した仁祖(インジョ)が16代王になった。

最終的に光海君は済州島(チェジュド)に島流しとなり、1641年に66歳で生涯を終えた。

同じ廃位でも、光海君は燕山君(ヨンサングン)とはまるで違った。

光海君自身は乱行に及んでいない。ただ、激しい派閥争いに巻き込まれて、要らぬ恨みを買ってしまった。

しかし、時間の経過が光海君に光を当てた。

歴史研究が進む中で、光海君の善政が見直されてきた。彼は能力的には大変な名君であった。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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