高麗を建国した始祖・王建とはどんな人物だったのか

2020年06月02日 ヒストリア #歴史人物
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朝鮮半島初の統一国家・高麗(コリョ)の建国の始祖である王建(ワン・ゴン)。1451年に編さんされた『高麗史』によると、877年に後高句麗(フコグリョ)の豪族の息子として生まれ、896年には後高句麗を建国した弓裔(クンイェ)の部下になっている。

将軍としての勇ましさだけではなく、包容力と政治力も備えた人物で、臣下を殺して横暴を振るっていた弓裔とは対照的だったという。

そんな弓裔に反対して政変を起こし、918年に王位についた王建は、国号を「高麗」と定め、統一新羅(シルラ)や後百済(フベクチェ)と覇権争いを繰り広げ、936年に朝鮮半島統一を果たす。

王建の肖像画(写真=韓国Wikimedia)

統一後は、統一新羅の貴族や豪族の多くを家臣として加え、彼らに府・州・郡・県といった地方を治めさせ、国内の基盤固めに尽力し943年に67歳で崩御するが、その1カ月前に高麗の後代王と民衆が守らなければならない教訓として、「訓要十条」を作り、側臣に伝えている。

死の1カ月前に残した国と一族繁栄の教え

この教えを守った子孫たちがいたからこそ、高麗王朝は475年間ものあいだ、高麗時代が続いたと言われている。

高麗にまつわる史跡は限られているが、そのひとつが江華島(カンファド)にある高麗宮址(コリョグンジ)だ。

これは1232年に高麗がモンゴルからの侵攻に抗戦するために作った臨時宮殿で、ここで王建の末裔である第23代王の高宗(コジョン)や第24代王の元宗(ウォンジョン)が政務にあたったとも言われている。

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