チョン・イル主演の『ヘチ 王座への道』。同作は、民のための政治を行った名君とされる朝鮮王朝第21代王。英祖(ヨンジョ)の若き日を描いているが、多くの登場人物の中でも強烈なのが、密豊君(ミルプングン)だ。
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記録によれば、蜜豊君は朝鮮王朝・第16代王・仁祖(インジョ)の長男・昭顕世子のひ孫にあたると言われているが、詳細は謎が多い。ドラマでは性格は粗暴で暴力的、殺人まで繰り返す悪行三昧だが、それはあくまでもフィクションだ。
ただ、国王の器とは到底思えないが「自分こそ王位にふさわしい」と信じて疑わず、一部の官僚も彼を強く支持している部分は、あながち妄想ではない。
というのも彼の先祖である昭顕世子は、仁祖の長男だったが、朝鮮が清に屈服した際に人質として8年間軟禁された後、1645年に帰国。わずか2カ月後に急死した。父・仁祖が毒殺したという説もある。
さらに昭顕世子の妻は死罪となり、3人の息子は済州島(チェジュド)に流罪。その後、長男と二男は不可解な死を遂げ、三男だけが生き残った。その三男の孫が密豊君なのだ。
本来、世子が亡くなった場合は、その子が王位を継ぐのが原則だった。長男・二男が亡くなっている以上、本来なら三男(密豊君の祖父)が継ぐ可能性があった。
しかし仁祖は原則を無視し、昭顕世子の弟を王位に就けてしまった。その結果、昭顕世子の直系である密豊君は“運命的に外された一族”となった。こうしたことからドラマ内の蜜豊君は「自分こそ王位にふさわしい」と言い張るわけだ。
英祖に不満を持っていた少論派(ソロンパ)の李麟佐(イ・インジャ)も「蜜豊君こそ王にふさわしい」として反乱を起こし、蜜豊君を担いだ。
だが、その反乱は終わり、蜜豊君は賜死を命じられた。1729年、享年41歳だった。
【蜜豊君の人物データ】
1688年2月28日~1728年3月24日
主な登場作品()内は演じている俳優
『テバク』(ソ・ドンウォン)
『ヘチ ~大王への道~』 (チョン・ムンソン)
(構成=韓ドラLIFE編集部)
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