韓国はもちろん、Netflixでは日本をはじめとする非英語圏でも高い人気を誇るドラマ『暴君のシェフ』。9月28日の放送で最終回を迎えたが、最終回の見どころのひとつが王様ヨンヒ君ことイ・ホンが「甲申士禍(カプシンサファ)」を起こすか否かだった。
劇中でイム・ユナ演じるジヨンも「王様に甲申士禍を起こさせてはならない。暴君にさせてはならない!!」と必死で奔走する。
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この“甲申士禍”。史実では「甲子士禍(カプチャサファ)」という。“甲子(カプチャ)”とは60年に一度やってくる干支のことで、“士禍(サファ)”とは派閥争いや政治的陰謀によって多くの官僚・学者が犠牲になった事件を表す総称。つまり、甲子士禍は甲子の年に起きた粛清事件のことで、それを起こしたのが朝鮮王朝第10代王の燕山君(ヨンサングン)であった。
なぜ燕山君は“甲子士禍”を起こしたのか。その原因は彼の幼年期にさかのぼらなければならない。
朝鮮王朝第9代王・成宗(ソンジョン)の長男として1476年に生まれた燕山君。
だが、実の母である斉献(チェホン)王后は強烈な性格の持ち主で、成宗が気に入った側室を恨んで呪い殺そうと企んだり、自分を遠ざけるようになった成宗の顔を激しく引っ掻く事件を起こしたことにより、1479年に成宗の母・仁粋大妃によって廃位に追い込まれ、1482年にはついには毒薬を飲んで賜死した。
当時、燕山君は6歳。父・成宗は死罪になったことを秘密にするよう家臣たちに命じたという。
そのため燕山君は母親の愛を知らずに育つのだが、やがて王になると母が廃妃となったこと、そして毒薬を飲まされて死罪になった過程を知ることになり逆上。母の死罪に関わった者たちを、党派を問わず次々と虐殺。すでに亡くなっていた者の場合は、墓を掘り起こして首をはねるなど徹底かつ残虐的に粛清した。
まさに母の死に対する報復を残酷なまでに行ったのだ。この大粛清が1504年にあったことから“甲子士禍”と呼ばれており、燕山君が暴君とされる理由のひとつとなっている。
ドラマではフィクションであることを示唆するために“甲申士禍”という表現が使われたが、ヨンヒ君が“甲申士禍”を起こせば燕山君のように暴君として歴史にその名を残すことになってしまう。ジヨンがそれを必死で食い止めようとしたのも、そうした歴史的事実を知っていたからこそであった。
(構成=韓ドラ・時代劇.com)
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