テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『トンイ』は序盤から面白い展開が続いているが、ハン・ヒョジュが演じている主人公トンイは、掌楽院(チャンアゴン/王宮で音楽を担当する部署)の奴婢として王宮に入ってくるという設定だった。
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さらに、めざましい活躍が認められて、女官の不正を暴く監察府(カムチャルブ)の一員になることができた。このように、トンイが安定した地位を築いていく過程がドラマで描かれていくが、実際の史実はどうだったのか。
トンイというのはドラマ用につくられた架空の名前であり、モデルとなっているのは、後に19代王・粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)の側室となった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)であった。
史実では、当初の崔氏は王宮の水汲みをする下働きの女性だったと言われている。水汲みは大変な重労働だったので、女官は自分ではやらなかった。その代わり、主に奴婢の女性に水汲みをさせていたのだが、崔氏は水汲み専用として王宮に入ってきたと推定されている。そういう女性がなぜ粛宗に近づくことができたのか。
当時、王宮の高官同士の間では派閥闘争が激しくなっており、西人派と南人派が主導権争いをしていた。チャン・オクチョン(張玉貞/後の張禧嬪〔チャン・ヒビン〕で演者はイ・ソヨン)を支持していたのが南人派であり、粛宗がチャン・オクチョンを寵愛していたので、南人派が優勢になっていた。
危機感を持っていた西人派は、美貌に優れた崔氏を見つけ、彼女なら国王の心を射止めることができる、と確信した。そして水汲みだった彼女を抜擢するようになった、というのが一番可能性の高い話だ。ただし、崔氏が史実に登場するのは1690年以降だ。それ以前の彼女の出自はよくわかっていない。
ドラマでは第14話の段階でも粛宗の母親・明聖(ミョンソン)大妃(演者パク・チョンス)が健在であった。史実で彼女が亡くなったのは1683年であり、それは崔氏が王宮に入ってくるずっと前のことである。ドラマと史実の間に“時間のズレ”があることを頭に入れておいたほうがいいかもしれない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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