【韓ドラになった歴史人】『千秋太后』の主人公・千秋太后は王建の血を受け継ぐ女性だった

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時代劇『千秋太后』では、チェ・シラが演じた千秋太后(チョンチュテフ/生没年964~1029年)の人生が波乱万丈に描かれていた。実際は、史実でどんな女性だったのだろうか。

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千秋太后は、高麗王朝の始祖・王建(ワン・ゴン)の血を受け継ぐ女性である。王建がすでに没していた時代に生まれた彼女であったが、大人になってから第5代王・景宗(キョンジョン)の妃となり、第6代王・成宗(ソンジョン)の妹、第7代王・穆宗(モクチョン)の母、そして第8代王・顕宗(ヒョンジョン)の叔母であった。

このように歴代の王たちと密接な血縁関係を持っていたのは、王建が29人もの夫人を持ち、30人を超える子をもうけたからに他ならない。これは地方の豪族との婚姻を通じて懐柔し、高麗統一を進めるための戦略であった。

なかでも強大な軍事力を誇った皇甫(ファンボ)氏との婚姻から生まれたのが千秋太后であり、彼女には父母双方から王建の血が流れていた。儒教が支配的となった後代には考えられない近親婚が、この時代には政治的手段として広く受け入れられていたのである。

997年、千秋太后の息子・穆宗が17歳で即位すると、当時33歳の彼女は王の母として、堂々たる政権運営の表舞台に立った。

そして、彼女の住まいである“千秋宮”に由来して千秋太后と尊称されて、特に契丹による侵攻の脅威に対抗するため、北方防衛に全力を注いだ。城塞の建設を指揮し、北方の守りを強固にしたその功績は高く評価されている。

『千秋太后』
(写真=KBS)

愛する息子たちを失った喪失感

その一方で、千秋太后は後継者問題において暗躍したとされる。穆宗に子がなかったため、自らの愛人・金致陽(キム・チヤン)との間に生まれた息子を次代の王に据えようと画策した。その陰謀が露見すると、宮廷内には彼女への不満が渦巻いた。

1009年、穆宗が儀式に臨んでいた最中、火災を装ったクーデターが勃発し、穆宗は幽閉され、金致陽と息子は討たれた。千秋太后も政権を追われ、逃亡の末に穆宗までもが毒を迫られ、拒んだ末に殺害された。

彼女自身はその威厳ゆえに命を奪われることはなかったが、愛する息子たちを失った喪失感は深かった。

その後、故郷へ戻った千秋太后は静かに余生を送り、1029年に65歳で世を去った。

【千秋太后の人物データ】

生没年
964年~1029年

主な登場作品()内は演じている俳優
『千秋太后』(チェ・シラ)

文=大地 康

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