【トンイの真実】美化されたドラマ。本当は恐ろしかったトンイの「裏の顔」

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人気女優のハン・ヒョジュが演じたドラマ『トンイ』の主人公トンイは、歴史的には淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏のことだ。彼女は19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった。

そして、同時期を生きた張禧嬪(チャン・ヒビン)と激しく対立した。

この張禧嬪は悪女としてあまりに有名だが、果たして淑嬪・崔氏はドラマのように心が美しい女性だったのか。

【トンイの真実】史実のチャン・ヒビンは陰謀たくらむ悪女ではなかった!

歴史的な事実を見てみよう。

粛宗の正室だった仁顕(イニョン)王后は1701年8月に世を去った。それから40日後に、淑嬪・崔氏が粛宗に「張禧嬪が仁顕王后を呪い殺そうとしていた」という告発を行なっている。

ただ、不思議なのは、仁顕王后が亡くなってから40日後の告発だったことだ。淑嬪・崔氏がその事実を知っていたのであれば、なぜ、もっと早く言わなかったのだろうか。

『トンイ』ではハン・ヒョジュが淑嬪・崔氏、イ・ソヨンが張禧嬪を演じた(写真=SPORTS KOREA)

実際に、仁顕王后の屋敷の周りから、呪詛(じゅそ)に使ったと思われる呪いの品物が発見されている。

しかし、それを張禧嬪が埋めたという証拠は1つもない。たとえば、淑嬪・崔氏が自分で埋めて告発したとも言える。その準備のために40日もかかったのではないのか。

実は、淑嬪・崔氏には、張禧嬪を陥れなければならない動機があった。

このとき、世子になっていたのは張禧嬪が産んだ息子だった。淑嬪・崔氏にも粛宗との間に産んだ息子がいたが、兄(世子)がいるので王にはなれなかった。

■ドラマで美化されている淑嬪・崔氏

だが、張禧嬪の息子を世子の座から追放できれば、淑嬪・崔氏の息子が代わりに世子になることも可能だった。

つまり、張禧嬪はそのまま何もしなければ自分の息子が王になれるが、淑嬪・崔氏の場合は、張禧嬪の息子を排斥しなければ自分の息子が王になれないのだ。

しかも、ずっと病床にあった仁顕王后はもう長くは生きられなかった。そんな王妃を、張禧嬪が危険を冒して呪詛する必要はまったくないのである。

むしろ、淑嬪・崔氏のほうが張禧嬪に罪をかぶせる必要があった。

淑嬪・崔氏の裏の顔は実はとても恐ろしかったかも。『トンイ』の主人公があまりに美化されすぎていることは間違いない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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