NHKのBSプレミアで再放送されている『太陽を抱く月』は、朝鮮王朝の架空の時代を設定して物語が作られている。
この「架空」ということに意味がある。
しかし、『太陽を抱く月』の制作陣は細心の注意も払った。特に、「このドラマは架空の話です」と強調することで、史実だと勘違いする人がいないように努めた。
ここまでしなければならなかったのは、創作が多すぎる時代劇だとかならず「歴史を歪曲している」と批判されるからだ。そういう批判は制作側の熱意に水をさす。キム・ドフン監督は周囲に惑わされたくないという意味を込めて、『太陽を抱く月』では「架空」を強調していた。
このことは、視聴者に誤解を与えないということで成功した。視聴者はドラマに没頭することができ、純粋に波乱ぶくみのストーリーを満喫することができた。
ただし、「架空」といっても、朝鮮王朝時代の描き方は実に堂々としていた。
キム・ドフン監督も「朝鮮王室の制度や礼法は可能なかぎりリアリティを追求しました」と語っている。その言葉のとおり、『太陽を抱く月』は物語が架空でも時代設定は正統派だった。
たとえば、ドラマの冒頭で大妃(王の母)の策略によって王の異母弟が殺害されるという出来事について考えてみよう。
歴代王27人の中で弟を実際に殺したのは3人だ。最初は3代王・太宗(テジョン)。彼は、世子になっていた異母弟を死に追いやって自分が王になっている。
7代王・世祖(セジョ)も甥から王座を奪う過程で反対勢力だった2人の弟を死罪にしている。さらに、15代王・光海君(クァンヘグン)は、王になった後で自分の兄と異母弟を絶命させている。
こうした史実が如実にあるから、『太陽を抱く月』が描くストーリーに真実味が感じられるのだ。
このように、歴史的な事実を念頭に起きながら、『太陽を抱く月』は魅力的なストーリーを創作している。そのことが、視聴者を強く引きつけたのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
前へ
次へ