時代劇『七日の王妃』で主役のパク・ミニョンが演じたヒロインが端敬(タンギョン)王后である。わずか1週間で廃妃されてしまった悲劇の女性。史実ではどんな人生を送ったのか。
【関連】【愛と裏切りの宮廷】『七日の王妃』でパク・ミニョンが演じた王妃の悲しみがなぜ心に響くのか話は16世紀序盤の朝鮮王朝時代のことだ。1506年、10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政は、重臣たちのクーデターで終結した。彼の後を継いだのは異母弟の11代王・中宗(チュンジョン)。重臣が用意した「みこし」に乗って王になった彼は、強引な政策を続ける側近に異論を言えなかった。
中宗には端敬(タンギョン)王后という妻がいた。2人は周囲がうらやむほど仲睦まじい夫婦だったが、重臣たちは2人を別れさせようとした。端敬王后の父が燕山君の側近であり、叔母が燕山君の妻だった。それゆえ、重臣たちは後年の復讐を恐れて端敬王后の廃妃を主張した。
重臣たちの様々な強要を受け入れてきた中宗だが、この一件だけは認めるわけにいかなかった。中宗は愛する妻を守るために、臣下たちと徹底的に話し合った。しかし、最後には中宗が屈してしまう。中宗の決断は、端敬王后を殺すべきだという過激な発言を抑えるために仕方のないことだった。
端敬王后は王妃から庶民へ格下げされた後、宮中を追い出された。中宗は彼女が去ると、悲しくて辛かった。王宮の一番高い場所まで足を運び、彼女の実家の方向をじっと眺めて気持を落ち着かせるようになった。
そのことは次第に噂になり、端敬王后の耳にまで届くようになった。彼女は王宮を追放された自分をいつまでも思ってくれる中宗に深く感動した。そして、中宗が自分の住む場所をすぐに見つけられるように、裏山の岩の上に宮中でよく着ていた薄紅色のチマ(スカート)を広げておいた。
そのチマを見るたびに中宗は、引き離された妻を思い出すのだった。2人のこうした悲恋は「チマ岩の伝説」として今も語り継がれている。この話は『宮廷女官チャングムの誓い』の中にも出てくる。
結局、端敬王后は1人寂しく暮らし、1557年に70歳でこの世を去った。
【端敬王后の人物データ】
生没年
1487年~1557年
主な登場作品()内は演じている俳優
『女人天下』(キム・ヒジョン)
『師任堂、色の日記』(ユン・ソクファ)
『七日の王妃』(パク・ミニョン)
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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