『善徳女王』の序盤を飾った真興王は怪物級の大王だった!

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テレビ東京の韓流プレミアでは、『宮廷女官チャングムの誓い』に代わって『善徳女王』がスタートした。このドラマの始まりで強烈な個性を見せていたのが、イ・スンジェが演じた真興王(チヌンワン)であった。彼こそが新羅(シルラ)の運命を左右した大王だ。

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果たして、どんな国王だったのだろうか。

24代王の真興王(チヌンワン)が生まれたのは534年。彼は先代王だった法興王(ポブンワン)の弟の息子だ。また、母が法興王の娘であった。6歳のときに法興王が亡くなったので、すぐに即位している。ただし、幼かったので母が只召(チソ)太后となって摂政を行った。

史実によると、真興王は只召太后の摂政を受けたあと、成人してから自ら統治を始めた。当時の新羅は、敵対する高句麗(コグリョ)と百済(ペクチェ)に押されていて、領土争いで苦境に陥っていた。

もともと真興王は頭脳明晰で戦略性にも優れていたので、高句麗と百済との戦争でも成果を見せて、弱かった新羅をやがて強い国に導いていった。とにかく、戦略を見る目が確かだった。

『善徳女王』の真興王
重鎮俳優のイ・スンジェが真興王を演じた(写真=(C)MBC)

新羅の精神的な支柱

巧みな外交戦略で領土を徐々に拡大していくと、中国大陸とも良好な関係を築いていって、新羅という国の存在意義を高めた。そういう意味で、真興王は新羅の歴史に残る偉業を達成した。

また、真興王は仏教の普及に熱心だったので、新羅でも仏教が大いに栄えるようになった。これは民衆の文化向上に大きく貢献した。

さらに、育成組織である花郎(ファラン)を立ち上げて青年たちの成長を大いに促した。やがて花郎は最高の人材機関となり、領土拡大でも大いに成果をあげた。

とにかく、政治的な業績が本当に多かった。彼がいなかったら、新羅が後に三国時代を統一することもできなかったであろう。そんな真興王は576年に亡くなったが、以後の新羅でも精神的な支柱となり、大王として尊敬されていた。

この真興王が後の王位継承問題で指示を出していたというのが、『善徳女王』の序盤の重要場面になっていた。演じたイ・スンジェは韓国芸能界の重鎮俳優であり、本当に貫禄がある演技を見せた。

文=大地 康

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