朝鮮王朝・14代王・宣祖(ソンジョ)に仕えた金介屎(キム・ゲシ)は、幼くして王宮に入った人物だ。
彼女は頭がよくて、どんなこともうまく仕切ることができた。それによって、宣祖にとても気に入られ、王宮の中で大いに力をつけていった。
宣祖は1608年に世を去ってしまい、彼の二男であった光海君(クァンヘグン)が15代王となる。そのとき、金介屎がうまく立ち回って光海君から信頼を得た。
光海君にとっては、異母弟であった永昌大君(ヨンチャンデグン)が王位にとって脅威だった。なぜなら、光海君は側室から生まれている庶子だったが、永昌大君は宣祖の正室から生まれた嫡男だったからだ。
ここから、金介屎の悪事がえげつなくなる。
1613年、金介屎は永昌大君を排除するために捏造事件を起こして、永昌大君の母親であった仁穆(インモク)王后の父親を処刑した。そうなると、影響が仁穆王后と永昌大君に及ぶのも必然だった。
結局、7歳という幼さだった永昌大君は江華島(カンファド)に流罪となったあと、金介屎の送った刺客によって殺されてしまった。
さらに、仁穆王后も離宮に幽閉された。そして、金介屎は悪事を重ねて光海君に反抗する者たちを罠にかけて命を奪っていった。
1623年、光海君が即位して15年が過ぎた。その間に多くの人が排除されて光海君は怨まれた。実際に裏で暗躍したのは金介屎であり、彼女が悪の女官として悪事を続けていた。そんな中でクーデターが起こった。
反乱を起こしたのは宣祖の孫の綾陽君(ヌンヤングン)で、彼は弟が謀叛の罪で処刑されたので、光海君をとても憎んでいた。
このクーデターはうまく成功し、油断していた光海君は王宮から逃げ出したが、つかまって江華島に流罪となった。こうなると、金介屎も無事ではいられない。
王の陰に隠れて何人もの命を奪った金介屎はとても怨まれていたので、問答無用で斬首された。こうして金介屎は悪の代名詞として歴史に残った。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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