テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『太陽を抱く月』。5月27日の第4話では、世子イ・フォン(ヨ・ジング)の婚約者としてヨヌ(キム・ユジョン)が選ばれていく過程が描かれていた。世子の結婚が国家的な事業であることがわかる内容であったが、史実でその行事はどのように行われただろうか。史実を見てみよう。
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そもそも、王妃や世子嬪(セジャビン/世子の妻)を選ぶときの公式的な行事のことを「カンテク(揀択)」という。王朝にとっても重要な儀式なので総力を挙げて実施されていた。
「カンテク」は最初に全土に禁婚令を公布することで始まる。この間に適齢期の女性は絶対に結婚できない。しかも、形式的には両班(ヤンバン)の娘だけでなく、庶民も禁婚令が適用された。とはいえ、実際に「カンテク」に選ばれるのは両班の娘だけだ。
こうして適齢期の女性を持った両班から詳しい身上書が出されるのだが、両班の家では娘が候補になるのを望まないケースが多かった。歴史的に国王の外戚が政争に巻き込まれて没落することがあったからだ。それでも、やむなく娘の身上書を出さざるを得なかった。
厳格な書類審査を経て、20人から30人くらいの女性が「カンテク」の第一候補となる。さらに、容姿や性格などが詳しく調べ上げられて6人ほどが二次審査に進んだ。ここでも人物像や細かい動作などが調べられて、最終的に3人の候補にしぼられる。そして、最終審査に臨み、国王や王妃を始めとする王族の長老によって、王妃や世子嬪が決定していく。
最終審査で外れた2人はどうなるか。生涯にわたって結婚できないとされてしまった。それだけに、外れた女性はあまりに不憫(ふびん)であった。しかし、そうした女性の中から国王の側室になる人もいた。
なお、『太陽を抱く月』では「カンテク」を通して世子が愛したヨヌが世子嬪に選ばれた。世子は願いが叶って最高の幸福感を味わうのだが、それは悲劇の始まりでもあった。大妃の陰謀によってヨヌは命を狙われてしまったのだが……。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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