朝鮮王朝時代後期で「政治的な業績が大きい名君」といえば誰?

2024年01月23日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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朝鮮王朝時代の前期の名君なら、問答無用で世宗(セジョン)の名前があがる。「ハングルの創製」を成し遂げた世宗の名声は別格である。「朝鮮王朝最大の偉人」と称されるのも当然だろう。

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それでは、朝鮮王朝の後期にマトを絞ると、政治的に業績があった国王は誰になるだろうか。一応、候補にあがるのは、粛宗(スクチョン)、英祖(ヨンジョ)、正祖(チョンジョ)の3人である。それぞれの業績を見てみよう。

19代王の粛宗は、かつて弱々しかった王権を果敢に強化した国王だ。彼は、熱烈なリーダーシップを発揮し、政治的な課題を次々と改善していった。特に、商業の活況を生み出し、民衆の生活向上に情熱的に尽力した。さらに、国防の強化に着手し、国の安寧を守り抜いた。

ただし、彼の治世には暗雲も立ち込めた。悪女だった張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にまで昇格させ、それが原因で王宮内は大混乱に陥ったのである。この出来事は、彼の治世における大きな汚点と言えよう。

そんな粛宗の二男が21代王の英祖である。彼は、高官たちの激しい派閥争いに悩まされた。その末に実施した「蕩平(タンピョン)策」は、公平な人材登用を目指した政策だ。これは非常に難しい挑戦であったが、英祖はその困難を辛抱強く乗り越え、派閥権力の均衡を実現させた。

左から『赤い袖先』の正祖と英祖(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)、『トンイ』に登場した粛宗

国の発展と文化の繁栄

しかし、彼の治世には悲劇も存在した。それは、後継者であった息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させた出来事だ。息子の素行に問題があったとはいえ、権力闘争に明け暮れる奸臣たちの誤った報告を信じた結果であった。政治的には名君であった英祖も、親子関係においては問題があったと言わざるを得ない。

その英祖の孫が22代王の正祖である。正祖は常に暗殺の危機を抱えながらも、政治を大胆に動かした。実学を盛んにし、技術の発展を実現させのである。さらに、文化の発展にも大きく寄与している。

こうして、粛宗から正祖に至る王たちの治世は、強力な指導力で国の発展と文化の繁栄を築き上げた。その中で人格まで加味すれば、やはり正祖が朝鮮王朝後期の最高の名君と言えるのではないだろうか。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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