時代劇『袖先赤いクットン』(原題)は2021年の韓国ドラマ界で最も話題を集めた人気作となり、主人公を演じた2PMのジュノも絶賛された。その影響でジュノが魂を込めて扮したイ・サンも、朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)として改めて名声を受けるようになった。
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彼は様々な政策を実行して政治的な業績を挙げているが、今回はその中から画期的な人材登用政策について紹介しよう。
高麗王朝は一夫多妻制を採用していたが、その高麗王朝を倒して1392年に建国された朝鮮王朝は一夫一婦制を取り入れ、決して重婚を許さなかった。
しかし、経済力がある男性が妾を持つことは公認していた。よって、貴族階級とも言える両班(ヤンバン)は、妾を抱えることが多かった。この場合、最下層の身分である奴婢(ぬひ)の女性を妾にする場合がたくさんあった。
しかし、生まれてきた子供には明らかな違いがあった。両班の嫡子は正当な身分が保証されていたのに、妾から生まれた庶子は官職に就けなかった。中には、あまりに優秀で官職に就ける場合もあったが、それはあくまでも特例扱いであり、原則的に庶子の公務員への就職は厳しく制限されていた。
それは18世紀を迎えても状況が変わらなかった。そのことを憂慮したのが21代王の英祖(ヨンジョ)であり、彼は庶子でも官職に就ける道を確保するために尽力している。とはいえ、壁はなかなか厚かった。
そんな状況に風穴をあけたのが正祖であった。
彼は即位して2年目となる1776年に庶子が官職に就くことを許可する法律を作った。そのうえで、有能な庶子をこぞって実務的な官職に登用した。
これは画期的なことだった。何よりも、就職差別を受けていた庶子たちに明るい希望を与え、王朝の人材登用の活性化に大きく寄与した。
頑迷な身分制度によって埋もれた秀才たちを世に送り出したという意味で、正祖の人材登用政策は社会に大いなる活気をもたらした。
彼はやはり時代の先を読む名君であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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