【歴史コラム】イ・サンがようやく得た世子の運命はどう急変したのか

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テレビ東京の韓流プレミアでオンエアされている『イ・サン』では、8月25日の第73話において涙を誘うシーンがたくさん放送された。世子(セジャ/国王の正式な後継者)が突然早世してしまい、ソン・ソンヨン(ハン・ジミン)も重い病にかかってしまった。ドラマではそのように悲しい設定になっていたが、史実ではどうだったのか。歴史的な事実を解説したい。

【本当は怖い⁉】名君イ・サンのゾッとするような「裏の顔」

ソン・ソンヨンのモデルになっているのは宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)である。彼女は1782年9月7日に王子を産んだ。イ・サンにとって待望の男子であり、王室の喜びは大変なものだった。

1783年、宜嬪・成氏は王子を産んだことで正一品の称号が授与された。宮中において最高の地位であり、イ・サンも宜嬪・成氏の功績を讃えた。

1784年、宜嬪・成氏は再び出産を迎え、翁主(オンジュ/国王の側室が産んだ王女)を産んだ。しかし、この愛らしい王女は、2カ月という短い命しか生きられなかった。

そのわずかな時間の後、1784年7月、宜嬪・成氏の長男は世子に指名されて、文孝(ムニョ)と名付けられた。彼は2歳にも満たない幼さであったので、本来なら世子になるのに早すぎるのだが、イ・サンはそれでも決断した。通常、世子として選ばれる年齢は5歳前後であるため、これは本当に異例なことであった。

画像=MBC

深い悲しみ

しかしながら、文孝世子は弱々しい命であった。歴史的な記録によると、文孝世子は1786年1月からはしかを患ってしまった。病状は一進一退となり、一時は快方に向かってイ・サンを安堵させたのだが、5月になって容態が急変して、ついに文孝世子はこの世を去ってしまった。まだ4歳であった。世子になりながら、あまりに短い命であった。

その失意は、宜嬪・成氏の心を深く傷つけた。結局、彼女はその深い悲しみから立ち直ることができず、健康を害してしまった。イ・サンは、薬学に精通しており、彼女の為に薬を調合した。王宮の誰もが祈る気持ちで宜嬪・成氏の回復を願っていたのだが……。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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