朝鮮王朝では国王が永遠の眠りに就けば、その世子(セジャ)は新たな王位を継ぐ役割を果たすが、それゆえに権力争いの渦中に巻き込まれ、時として命の危険さえも高まる部分があった。事実、陰謀の渦中で消えていった世子たちも多く、彼らの名は血塗られた歴史の中に刻まれている。
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例を挙げれば、16代王・仁祖(インジョ)の長子であった昭顕世子(ソヒョンセジャ)は、朝鮮王朝の古びた政治を革新しようとした矢先、父の手による毒殺の疑惑を抱えて死亡した。この悲劇は、国王たる父と世子たる長男の激しい対立の果てに生じたものである。
また、21代王・英祖(ヨンジョ)の息子であった思悼世子(サドセジャ)は、素行に問題があったとはいえ、英祖から自害を命じられてしまった。その命令を拒んだ結果、米びつに閉じ込められて餓死するという最期を迎えた。これは、朝鮮王朝史においても最も悲劇的な事件と言える。
さらに、ドラマ『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じた孝明世子(ヒョミョンセジャ)は、若さと有能さが災いし、当時の有力派閥に毒殺された疑惑がある。全ての事実が明らかになっていないが、世子としての立場がいかに危険であったかを物語っている。
このように、世子という存在は危険なリスクをはらんでいる。だが、そこには明確な王位継承の法が存在し、世子が早世した場合はその息子が王位継承権を持つ。世子の血統によって王位が移行する、という原則が堅持されていたのである。
たとえば、孝明世子が21歳の若さで早世した際も、その息子が世子の地位を継承し、後に24代王・憲宗(ホンジョン)として即位している。このような継承のプロセスこそが、朝鮮王朝の正統性であった。
しかし、例外もある。それは昭顕世子が亡くなったときのことだ。空位となってしまった世子の地位を引き継いだのは、昭顕世子の息子ではなく弟であった。これは、仁祖が王位継承を歪めた結果であり、やってはいけないことを彼が断行してしまったのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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