【朝鮮王朝の大奥】『哲仁王后』でも大王大妃と大妃はどのように対立したのか

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朝鮮王朝は国王が統治する中央集権国家であった。全ての人々の頂点に君臨していたのが国王であり、国王はいわば大統領と総理大臣と最高裁判所長官を兼ねたような存在であった。

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しかし、朝鮮王朝は典型的な儒教国家であり、儒教の教えが王族の勢力図を変える場合が多かった。なにしろ、儒教が特に重視したのが親孝行の「孝」であり、そのことは国王もしっかり受け取らなければならなかった。特に国王の母親は大妃(テビ)として重要な立場におり、国王は毎日朝起きると大妃に挨拶に出向いていた。

大妃のほうも息子である国王に様々な影響力を誇示し、自分の気持ちを政治に反映させることができた。例えばこうした大妃に嫌われて燕山君(ヨンサングン)の母親は死罪になってしまったし、あの張禧嬪(チャン・ヒビン)でさえ粛宗(スクチョン)の母親によって王宮から追放されているのである。それほど影響力を持ったのが大妃だった。

しかし、さらに大妃より上の存在がいる。それが大王大妃(テワンテビ)である。大王大妃は実質上に国王の祖母にあたる。つまり王族最長老の女性であり、「孝」の精神からすると一番敬わなければならない存在だった。しかし、朝鮮王朝ではよく大王大妃と大妃の対立があった。

ただし、大王大妃は年齢的にすでに亡くなっている場合も多いので、いつも大王大妃と大妃の対立が深刻になったというわけではない。それでも、ドラマ『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』が描いた1850年代は大王大妃と大妃の対立が深刻だった。

ペ・ジョンオクが演じる大王大妃(写真左)とチョ・ヨニが扮する大妃(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

大王大妃と大妃の立場の違い

この場合、24代王・憲宗(ホンジョン)の母が大妃であり、祖母が大王大妃であった。その構図は、25代王・哲宗(チョルジョン)の代にもまったく変わらなかった。

特に両者は出身一族がまったく違った。大王大妃は安東(アンドン)・金(キム)氏の出身で、大妃は豊壌(プンヤン)・趙(チョ)氏の出身だ。この両一族は政治の主導権争いを繰り返しており、その対立が大王大妃と大妃の人間関係を危うくしていた。

そんな当時の事情も『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』はよく描いていた。このドラマを見ていると、大王大妃と大妃の立場の違いが如実に現れていてとても興味深い。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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