世子嬪(セジャビン)といえば、王の正式な後継者となる世子(セジャ)の妻である。普通なら、次の王妃になる身分なのだ。しかし、それは世子が元気であった場合の話。夫が不幸に見舞われたら、世子嬪も安泰ではいられない。とたんに「約束された王妃」の座を失うことになるのだ。
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そんな事態になった3人の世子嬪を紹介しよう。まずは、2人の女性から。
●世子嬪・姜氏(カンシ)
16代王・仁祖(インジョ)の長男であった昭顕(ソヒョン) 世子の妻である。朝鮮王朝が清に屈服したとき、人質として夫と一緒に清に連れていかれたが、1645年にようやく祖国に帰ってきた。
しかし、昭顕世子は父の仁祖に嫌われて毒殺されてしまい、姜氏も仁祖を呪詛(じゅそ)した嫌疑を受けて自害に追い込まれた。しかも、息子たちも悲惨な目にあっている。姜氏は仁祖によって一家を滅ぼされた悲運の世子嬪であった。
●恵慶宮(ヘギョングン)
21代王・英祖(ヨンジョ)の息子であった思悼(サド)世子と結婚した女性である。最初は夫婦も仲が良かったのだが、次第に険悪な関係になっていた。思悼世子が平常心を失って酒乱と暴力を繰り返したことが原因だった。ついに、思悼世子は英祖によって米びつに閉じ込められて餓死してしまった。1762年のことだ。
恵慶宮も世子嬪の身分を失ってしまったが、幸いに息子がイ・サンとして即位し、「王の母」の地位を回復することができた。しかし、夫が悲劇的に亡くなった過去は決して消えなかった。
以上の2人の世子嬪を取り上げたが、3人目の世子嬪は誰が選ばれたのか。それは、趙(チョ)大妃である。
●趙(チョ)大妃
23代王・純祖(スンジョ)の長男だった孝明(ヒョミョン) 世子の妻であった女性だ。孝明世子は幼いころからとても頭脳明晰で、王になったらかならず名君になるだろうと期待されていた。しかし、わずか21歳で急死してしまい、趙大妃も世子嬪のときは本当に苦労したが、息子が24代王・憲宗(ホンジョン)となり、彼女も大妃の地位に上り詰めた。
当初は姑で存命だった純元(スヌォン)王后に頭が上がらなかったが、彼女が1857年に亡くなると、趙大妃は王族女性の最長老として君臨し、政治力を発揮した。『哲仁王后~俺がクイーン!?~』ではチョ・ヨニが趙大妃を演じて時代劇を賑わせている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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