朝鮮王朝には合計で42人の王妃がいたが、自ら命を断った女性は3人いる。それは、廃妃・尹氏(ユンシ)、廃妃・柳氏(ユシ)、そして、張禧嬪(チャン・ヒビン)である。
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彼女たちは、悲惨な目にあった悲劇の王妃なのだが、本来ならもっと長く生きていたかったはずだ。しかし、自害せざるをえない事情があった。それは、果たして何なのか。
尹氏は9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の正妻だった。性格に問題があり、成宗が寵愛する側室を呪詛(じゅそ)しようとして謹慎処分を受けている。さらに、精神が錯乱して、成宗の顔を激しく引っかくという騒動を起こしてしまった。
その末に廃妃となり、王宮を追われて実家に帰された。彼女はもともと成宗の母であった仁粋(インス)大妃に嫌われていて、ついには死罪となってしまった。彼女の息子が、暴君として悪評まみれだった燕山君(ヨンサングン)であった。
15代王・光海君(クァンヘグン)の正妻。彼女にはなんの落ち度もなかったが、光海君が1623年にクーデターで廃位となり、柳氏も夫と一緒に江華島(カンファド)に島流しとされてしまった。
プライドが高かった柳氏は光海君に対して「潔く死にましょう!」と覚悟を決めたのだが、光海君は生き抜くことを選択した。しかし、一緒に流罪となった息子夫婦が島から逃亡しようとしたが失敗した。その末に息子夫婦は死んでしまったので、柳氏も絶望して自ら死を選んだ。本当に報われない人生であった。
「朝鮮王朝三大悪女」の1人に数えられる張禧嬪は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室から王妃に昇格したシンデレラのような女性だった。しかも、1688年には王子を出産して、我が子が世子(セジャ)にもなった。けれど、粛宗に嫌われて王妃から再び側室に降格。
さらに、1701年に神堂を建てて仁顕(イニョン)王妃を呪い殺そうとした罪を問われて死罪になった。彼女が産んだ世子は後に20代王の景宗(キョンジョン)になった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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