『風と雲と雨』をよく見ていると、一つの疑問が湧いてくる。それは、「どうして壮洞・金氏(チャンドン・キムシ)は国王の哲宗(チョルチョン)より強い権力を持っているのか」ということだ。
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実際、壮洞・金氏の一族は政権の要職を独占し、哲宗の言うことも聞かない。王朝の政治をやりたい放題で牛耳っている。
彼らがそれほどの権力を持った原動力は何なのか。歴史を通して明らかにしていこう。
『風と雲と雨』の壮洞・金氏は、歴史的には安東・金氏(アンドン・キムシ)のことだ。この一族が強大になる元を作ったのは、23代王・純祖(スンジョ)の妻であった純元(スヌォン)王后だった。
彼女は1789年に生まれ、10代で王妃になった。
父の金祖淳(キム・ジョスン)は安東・金氏の重鎮で、彼は娘の力を借りて、安東・金氏の官僚を次々に要職に就けた。
純祖は気の弱い性格だったので、妻の横暴を抑えることができなかった。すると、純元王后はどんどん図に乗り、法律と制度を自分たちに都合がいいように変えてしまった。
以後、純元王后は女帝として朝鮮王朝に君臨し、純祖が亡き後は孫の憲宗(ホンジョン)を即位させて、安東・金氏の権力を維持した。
その憲宗が1849年に22歳で急死すると、彼女は今度は哲宗を国王に即位させた。彼女にとっては、安東・金氏の権力を守れれば、国王は王族なら誰でもよかったのだ。その結果、哲宗は純元王后に頭が上がらない国王になってしまった。
そうやって権力を守り通したまま、純元王后は1857年に68歳で世を去った。
『風と雲と雨』は1863年ごろを舞台にしている。それだけに、すでに純元王后に該当する女帝は出てこない。キム・ボヨンが演じている趙(チョ)大妃は、純元王后の長男の嫁だった女性だ。
それでも、純元王后の威光がまだ残っていたので、ドラマの中でも壮洞・金氏は権力を維持することができていたのである。
その壮洞・金氏を動かしていたのが、キム・スンスが演じるキム・ビョンウンだった。彼は、ドラマの中で本当に狡猾な悪者として描かれていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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