『ヘチ 王座への道』の終盤になると、イ・インジャ(李麟佐)が起こした大規模な反乱が大きく扱われる。歴史上で有名な「イ・インジャの乱」のことである。
このとき、反乱の首謀者だったイ・インジャが正統の王として推戴したのが密豊君(ミルプングン)である。これはフィクションではない。まぎれもない史実だ。
『ヘチ 王座への道』では前半から密豊君がひどい悪役として登場する。しかし、それはドラマ的に「作られた悪役」であったと言える。史実では、密豊君もあれほどの悪人ではなかった。
【写真】『ヘチ』で密豊君を演じた俳優チョン・ムンソンの印象とは?
しかし、英祖(ヨンジョ)に対して強い不満を持っていたことは確かだろう。なにしろ、密豊君は由緒ある昭顕(ソヒョン)世子のひ孫なのだ。家柄は申し分がなかった。
一方の英祖の場合は、実母が王宮の水汲みであったと言われている。密豊君としては「国王としての正統性を持っているのは自分だ」という自尊心が強かったと思われる。
そんな自負心を利用したのがイ・インジャであった。
彼は欲深い反乱であると知られると民心を得ることができなかった。それゆえ、「国王の悪政を改める」という大義名分が必要だった。そこで密豊君を利用し、「新しく擁立する国王は昭顕世子のひ孫だ」ということを強くアピールしようとした。
そんなイ・インジャのたくらみに密豊君は応じてしまった。『ヘチ 王座への道』では密豊君が米と金をばらまいて民から熱く支持される様子が描かれていた。彼は周囲から「王様!」と呼ばれて、すっかり図に乗ってしまった。それは、史実でも似たようなことが起こっていたのである。
しかし、代償はあまりに大きかった。反乱軍から国王として推戴された、という事実が致命傷となり、1729年に密豊君は死罪となってしまった。結局は、毒薬を飲んで自害したのである。
昭顕世子のひ孫でありながら逆賊になってしまった密豊君。本来なら先祖の無念を晴らそうとしたのに、逆に彼は歴史に決定的な汚名を残すことになってしまった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】『ヘチ』で密豊君はなぜあれほど悪の道に進んでしまったのか
前へ
次へ