張禧嬪(チャン・ヒビン)といえば、今の韓国でも朝鮮王朝時代のひどい悪女の代名詞になっている。確かに、張禧嬪には悪女と言われても仕方がない行状があったが、ここまでひどく言われるのはかわいそうな気がする。
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彼女は、一般の人が思っているような根っからの悪人ではなく、むしろ、悪女に仕向けられた傾向があるのだ。いわば、「意図的に作られた悪女」なのである。
それは、どういうことなのか。
実際、張禧嬪は1701年8月に亡くなった仁顕(イニョン)王后を呪詛(じゅそ)した罪に問われて、10月に死罪になっている。しかし、張禧嬪が呪詛した決定的な証拠はなかった。あくまでも、粛宗(スクチョン)が寵愛していた淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の告白によって、罪が確定してしまったのだ。
そのあたりは淑嬪・崔氏を主人公にした時代劇『トンイ』でも詳しく描かれていたが、冷静に史実を調べていくと、張禧嬪は後世で語られるほど悪行を繰り返したわけではない。欲が深い面があったかもしれないが、人を殺すような女性ではなかったのだ。
それなのに、彼女はなぜここまで悪く言われるのか。
決定的な理由となった書物があったのだ。それが『仁顕王后伝』である。
この本は、仁顕王后の兄が中心になって作られた。その中で、仁顕王后は聖女のように美化された反面、張禧嬪は強欲で性悪で冷酷な悪女として徹底的に卑下された。
明らかに、仁顕王后の実家が張禧嬪を陥れるために編集した書物であることは間違いなかった。
しかも、仁顕王后側の徹底した宣伝活動によって、『仁顕王后伝』は当時のベストセラーになった。
こうして、多くの読者が『仁顕王后伝』に書かれたことを真に受けて、張禧嬪のことを本当の悪女だと錯覚してしまった。
しかも、「朝鮮王朝実録」によると、張禧嬪は絶世の美女であった。必然的に「美しい悪女」は大衆にウケる。かくして、彼女を主人公にした作品がたくさん作られて、「張禧嬪=悪女説」が完全に定着した。
すべては書物の『仁顕王后伝』がきっかけになっていたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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