ドラマ『スノードロップ』を初めとして主演ドラマで存在感を発揮しているチョン・ヘイン。人気俳優としてますます知名度を高めているが、彼の6代上の先祖が丁若鏞(チョン・ヤギョン)だ。
この丁若鏞は、朝鮮王朝を代表する思想家・実学者として知られるが、彼がキリスト教徒として迫害を受ける契機となった事件が1801年に起こっている。それが「辛酉(イニュ)迫害」である。
果たして、どんな事件だったのだろうか。事件の背景を解説しよう。
イ・サンこと正祖(チョンジョ)が統治していた時代は天主教(キリスト教)も禁制ながら事実上は容認されていた。しかし、正祖が1800年に亡くなってから事情がガラリと変わった。
正祖の長男だった純祖(スンジョ)が23代王として即位したが、10歳という未成年だったので、王族最長老の女性が摂政を行なった。その女性が、英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王妃である。
彼女は正祖の政敵だった。そんな貞純王妃が摂政を行なうようになり、朝鮮王朝の政治は一変した。正祖が改革した政策は白紙となり、正祖が重用した高官も罷免させられた。そんな状況の中で迫害を受けるようになったのが天主教の人々だった。
特に、貞純王妃と対立する派閥の高官に天主教を信仰する人が多かった。そこで、貞純王妃は天主教を徹底的に弾圧するようになり、多くの人が処刑されたり流罪になったりした。これが1801年の「辛酉迫害」である。
チョン・ヘインの先祖である丁若鏞もなんの罪もないのに迫害を受けるようになり、全羅道(チョルラド)に流罪となった。
それは18年間に及んだ。
それまで官僚として大出世をしていた丁若鏞は一転して罪人として監視生活に置かれたが、その間に彼は『牧民心書』などの不朽の名著を世に残した。
そして、流罪を解かれた後は思想・実学の両方ですばらしい活躍をして丁若鏞は1836年に世を去っている。
子孫のチョン・ヘインも偉大な先祖の名著を愛読しているに違いない。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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