【深発見52】韓国政治史に残る大事件「釜山政治波動」とは?

2022年02月24日 紀行 #大島裕史コラム
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国際市場からやや北側に行くと、東亜(トンア)大学の富民(プミン)キャンパスがある。キャンパスに入ってすぐの所に、煉瓦造りのしっかりとした洋風建築物がある。

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国際市場

この建物、今は東亜大学の博物館になっている。館内には、古代・伽耶(カヤ)の遺物など、釜山地方の物だけでなく、朝鮮王朝の王宮の鳥瞰図である東闕図(トングォルド)など、国宝も展示されており、十分に見応えがある。

もっともこの博物館は、展示物だけでなく、建物自体が非常に重要である。この建物が東亜大学の博物館になったのは、2009年からである。もとは1925年に建てられた慶尚南道庁であり、朝鮮戦争の際は、臨時首都庁舎として使われた。

「臨時」といえども釜山の首都時代、韓国政治史に残る事件が起きた。いわゆる「釜山政治波動」である。

当時の大統領選挙は、国会議員の投票で選ばれる、間接選挙制度であった。朝鮮戦争勃発直前に行われた国会議員選挙では、野党が議席の3分の2以上を獲得しており、再選を目指す初代大統領・李承晩(イ・スンマン)は、窮地に追いやられていた。

そこで、大統領を国民が直接選ぶ直接選挙制度にするための憲法改正を行おうとしたが、少数与党では、それも不可能だった。

そのため李大統領側は、1952年5月から7月にかけて、白骨団という暴力団からなる官製テロ組織を使って、国会を包囲するなどの揺さぶりをかける恐怖政治を行う中で、直接選挙が可能な憲法改正を行っている。

それにしても、北緯38度線付近の戦場では激しい戦闘が繰り広げられ、連日多くの命が失われていた。にもかかわらず、戦場から離れた釜山で政争が繰り広げられていることには、かなりの違和感がある。

文・写真=大島 裕史

大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。

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