【親子の葛藤】イ・サンが母のことを「冷たい」とみなした理由は?

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韓国MBCで放送中の時代劇『袖先赤いクットン』(原題)の評判がとてもいい。主演している2PMのジュノも演技を高く評価されており、若き日の正祖(チョンジョ)を堂々と演じきっている。

この正祖は一般的に「イ・サン」と呼ばれているが、彼の父は思悼世子(サドセジャ)であった。その父は1762年に英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められて、そのまま餓死してしまった。このとき、イ・サンは10歳だった。

幼かったイ・サンの不満は、母が父の助命を積極的に願い出なかったことだ。そういう場面は、イ・ソジンが主演した名作『イ・サン』でも描かれていた。このドラマでイ・サンの母の恵慶宮(ヘギョングン)に扮していたのは、悪役を演じることが多かったキョン・ミリであった。

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史実はどうだったのか。

確かに、「朝鮮王朝実録」の記述を見ても、恵慶宮が夫の助命を願い出た形跡はない。幼いイ・サンが祖父であった英祖に対して必死に「お父上をお助けください」と哀願した姿とは好対照である。

(写真提供=MBC)

父親思いだったイ・サン

実は、思悼世子と恵慶宮はとても不仲だった。

2人が結婚したのは1744年のことで、当初は仲のいい夫婦だったという。

しかし、徐々に思悼世子の素行が恵慶宮を悩ませるようになった。

思悼世子は酒癖が悪かった。しかも、家臣に暴力をふるうことがよくあり、それが恵慶宮にとっても悩みの種だった。

思悼世子は幼少のときから天才的な頭脳を持っていたのだが、成人する頃には素行の悪さが顕著になっていった。酒乱の末に側室を殺したこともあった。

そんな思悼世子に憤って、恵慶宮は夫に会うと文句ばかり言っていた。その末に夫婦の仲は険悪になっていったのである。

結局、思悼世子は素行の悪さが原因で父の英祖から世子の身分を廃されて、米びつの中で餓死してしまった。この悲劇を恵慶宮は冷静に受け止めるしかなかった。彼女としては、息子を国王にするために最善を尽くさなければならない。そのことが優先事項であった。

しかし、父親思いだったイ・サンは、母親のことを「冷たい」と思わざるをえなかった。その意識は国王になっても、ずっと消えなかった。

イ・サンは1800年に世を去ったが、恵慶宮は1815年まで生きて80歳の長寿を全うしている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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