【史実とドラマの違い】『王女ピョンガン』の平原王は歴史書でどう書かれているか

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ドラマ『王女ピョンガン 月が浮かぶ川』は、古代・三国時代の高句麗(コグリョ)が舞台になっている。ドラマに登場するのは高句麗25代王の平原(ピョンウォン)王であり、ヒロインのキム・ソヒョンが演じるピョンガン王女は平原王の娘という設定になっている。

この平原王はドラマの中では無能な国王として描かれていて、幼いときに生き別れたピョンガン王女と再会しても、亡霊だと騒いで娘を人間として認めない体たらくだった。

しかし、実際には平原王も立派な人物であったと思われる。そこで、韓国に残る有名な史書『三国史記』に書かれている平原王を見てみよう。

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彼は560年に即位している。

平原王はすぐに中国に使者を送って朝貢している。以来、一貫して平原王は中国への朝貢を欠かさなかった。国土の安泰には中国と良好な関係を保つことが一番だと考え、それを着実に実行に移していた。

史実での平原王はどんな人物なのか

ストーリーの都合上

さらに、平原王は内政にも力を入れていた。

彼が統治していた時代に、高句麗では日照りが多かった。

すると、平原王は干ばつで苦労している庶民の生活に配慮して、自分も食卓に並ぶおかずの品数を減らしている。そのうえで、雨ごいの祈祷を継続して行なっている。

天災は他にもあった。581年には霜と雹(ひょう)によって穀物に甚大な被害が出た。すると、平原王は巡行して飢えて苦しむ庶民をなぐさめ、救済する政策を実行していった。

また、平原王は産業の振興に努め、農業をする人たちに広く養蚕を勧めた。

『三国史記』を読むかぎり、平原王に関して悪いことは何も書かれていなかった。むしろ、記述を丹念に見ていくと領民を心から思う姿が浮き彫りになっていた。

実際に歴史的にも平原王はなかなかの名君であったと思われる。それでも、『王女ピョンガン 月が浮かぶ川』では、ストーリーの都合上で平原王は「ダメな国王」になってしまっていた。

ドラマと史実は違う、ということを改めて平原王の描き方で認識することができるようだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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