テレビ東京で放送されてきた『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』。ドラマが終わったあとの登場人物のその後を追った2回目は、綾陽君(ヌンヤングン)を取り上げよう。
それにしても、『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』で描かれた綾陽君は、どうしようもない人物だった。狡猾で人をだましてばかり。まさに、正真正銘の悪人だった。
そんな彼は、史実ではどんな人物だったのだろうか。
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綾陽君は、1623年に伯父の光海君を王宮から追放し、自ら16代王の仁祖(インジョ)として即位した。
彼はクーデターを成功させるまでは果敢な行動力を持っていて、統率力も優れていた。それだけに、国王になっても巧みに統治を行なうのではないかと予測されたが、結果はまるで逆になった。とにかく、国王としては失政だらけだった。
最大の失敗は、朝鮮半島の北方を支配していた後金を軽視したことだ。光海君は後金と巧みな外交を行なって朝鮮半島を守っていたのに、仁祖は外交をおろそかにして後金の怒りを買ってしまった。
その結果、後金は1627年に攻めてきて、朝鮮王朝は屈した。それでも、なんとか和睦に持ち込んで王朝の滅亡を逃れた。
しかし、その後も仁祖は後金との約束を守らず、隣国を卑下するばかりだった。これでは後金も黙っていない。後金が国号を「清」に変更したあと、1636年12月に10万人以上の兵で朝鮮王朝に再び攻めてきた。
このときは都から逃げて仁祖は山城で籠城したのだが、最後は耐えきれなくなった。ついに翌年1月に観念して清の皇帝の前で土下座して謝罪した。これは朝鮮王朝で最大の恥辱と言われている。
こんな事態を招いてしまった仁祖は、やはり「国王になってはいけない人」であった。『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』で綾陽君にも最大のピンチがあったのだが、それを救ったのが光海君だった。それはあくまでもドラマであったわけだが、史実で比較してみると、外交と内政の両面で仁祖は統治能力が光海君より完全に劣っていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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