テレビ東京で放送している『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』は、後半になって登場人物の素性がどんどん明らかになっている。
その中で主人公のノクドゥとドンジュの関係がハラハラするほど気になってくるのだが、同じように注目して見ているのがカン・テオの演じているユルムこと綾陽君(ヌンヤングン)である。
物語の序盤では優雅な若様に扮していた綾陽君だが、後半に入ると正体がバレバレになっている。その中で、狡猾に人をだましていく綾陽君は、まさに「やりたい放題」という有様なのだ。
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それもすべて、光海君(クァンヘグン)を王座から引きずり降ろして自分が国王になりたいという野心が強すぎるからだ。
史実でも、綾陽君はそんなにひどい王族だったのだろうか。
彼の出自を見てみよう。
綾陽君が生まれたのは1595年だ。光海君は1575年なので、綾陽君は光海君より20歳も年下だ。
綾陽君の父は、14代王・宣祖(ソンジョ)の息子であった定遠君(チョンウォングン)である。この定遠君は、宣祖の側室であった仁嬪・金氏(インビン・キムシ)から生まれていた。つまり、庶子だったのである。
なお、綾陽君が後に16代王・仁祖(インジョ)として即位したときに、父親の定遠君は追尊されて元宗(ウォンジョン)となり、綾陽君の母親は仁献(インホン)王后になっている。要するに、息子が国王になったので、その両親も国王と王妃の待遇を得たのである。
とはいえ、国王になる前の綾陽君には悲しい過去があった。それは、最愛の弟であった綾昌君(ヌンチャングン)が殺された出来事だった。殺害を命じたのは光海君だった。果たして、綾昌君にはどんな罪があったのだろうか。
実は、1615年に光海君政権の転覆を画策した謀反が起こり、その際に次代の国王として謀反一派が推挙していたのが綾昌君だった。この謀反は失敗に終わり、責任を取らされる形で綾昌君は殺された。
このことに綾陽君は憤慨し、彼は光海君に強い復讐心を抱くようになった。そういう歴史をうまくドラマに取り込んだのが『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』なのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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