『ヘチ』で描かれた英祖が実は「人権派の国王」だった証拠とは何か

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NHKの総合テレビで放送された『ヘチ 王座への道』は本当に面白い時代劇だった。とてもテンポよく物語が進んでいくので、ジッと見ているだけでワクワクするような気分になれた。

しかも、主人公の英祖を演じたチョン・イルの演技も情感が豊かで見応えがあった。そういう意味で、『ヘチ 王座への道』はNHKの総合テレビで日曜日に放送するのにふさわしい傑作だったと言える。

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その『ヘチ 王座への道』では、英祖が1724年に即位してから数年後には最終回が終わってしまったので、実際に52年間も王位を守った彼の業績はドラマの中ではあまり語られていなかった。そこで、この記事では英祖の隠れた業績というものをクローズアップしてみよう。

特に、「隠れた業績」という意味で強調したいのは、英祖が「人権派の国王」であったということだ。その最たる事実が、彼が刑罰を根本的に変えたことである。

『ヘチ』でチョン・イルが扮した英祖(写真=韓国SBS『ヘチ 王座への道』韓国ポスター)

刑罰の改善を行なった英祖

たとえば、英祖が即位した頃は、罪人の膝にとても重い石を載せて骨を押しつぶすという刑罰がひんぱんに行なわれていた。

これは、罪人にとっては死ぬほどの苦痛だった。英祖はその刑罰が非人道的だと悟っていて、その刑罰を廃止させた。それは1725年のことだった。

また、1729年に英祖は死刑囚に対して画期的な法律を適用させるようになった。それは「三覆法」と呼ばれており、死刑囚に対して初審、再審、三審という三回の審理を受けさせたものだ。

今では当たり前になっている制度だが、300年近く前にこういう制度を行なうというのは、罪人の人権をかなり保護していたと言えるのではないだろうか。

他にも、英祖は刑罰の改善を積極的に行なっていったが、1774年には、罪人の顔に罪名を入れ墨するというリンチのような刑罰も彼が自らの権限によって廃止させている。

こうして見ると、英祖以前と以後では、罪人への拷問も明らかに変わっていった。それは、英祖が目を光らせて罪人の人権を少しでも守ろうとしたからである。

そんな英祖がなぜ自分の息子であった思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させてしまったのだろうか。この点はまったく理解できない。さしもの名君もこの事件のときは精神が錯乱していたとしか言いようがない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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