【トンイでお馴染み】女性遍歴を重ねた粛宗の最初の王妃は誰だったのか

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朝鮮王朝には27人の国王がいたが、王妃を一番多く抱えたのは19代王の粛宗であった。彼は生涯で4人の王妃と結婚している。それほど多くの王妃を持った国王は他におらず、次の3人の王妃を抱えたのが9代王・成宗(ソンジョン)と11代王・中宗(チュンジョン)だった。

粛宗の場合、4人の王妃というと、二番目の仁顕(イニョン)王后と三番目の張禧嬪(チャン・ヒビン)はとても有名だし、四番目の仁元(イ・ヌォン)王后も『トンイ』の終盤によく登場したので、その存在を覚えている人も多いに違いない。

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このように、粛宗の二番目から四番目までの王妃は知られているのだが、最初の王妃は地味すぎて知っている人はほとんどいないことだろう。そこで、今回は粛宗の最初の王妃にスポットを当ててみよう。

粛宗が最初に結婚した女性は仁敬(インギョン)王后と言う。粛宗と同じ年で仁敬王后は1661年に生まれている。

『トンイ』でチ・ジニが扮した19代王・粛宗の最初の王妃が仁敬王后だ

仁敬王后の早世が粛宗に与えた影響

9歳のときに世子嬪(セジャビン)となり、1674年に粛宗が即位したのにともなって王妃となった。そして、彼女は10代後半のときに2人の王女を産んでいる。しかし、ともに早世したのが不運だった。

それは仁敬王后も同様だった。1680年10月に彼女は天然痘の症状を見せるようになった。このとき、粛宗に天然痘を移してはいけないので、侍医たちは細心の注意を払ったという。もちろん、仁敬王后の治療も最優先で行なわれたのだが、結局彼女は帰らぬ人となった。享年は19歳であった。あまりにも短すぎる人生だった。

ただし、王妃が亡くなっても国王が独身でいるわけにはいかなかった。粛宗は仁敬王后が亡くなった翌年に仁顕王后と再婚することになった。

とはいえ、すでに粛宗は「絶世の美女」と呼ばれた張禧嬪に心を奪われていた。こうして粛宗は数々の女性遍歴を繰り返していくのだが、元はと言えば、仁敬王后が10代で亡くなったことが端緒となった。そういう意味で、仁敬王后の早世が粛宗に与えた影響もはかりしれなかった。

人間の寿命だけは本当にどうしようもないことだが、粛宗は1720年に59歳で世を去った。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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