【トンイの真実】後継者に悩む粛宗はどのように育って王になったのか

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現在、韓流プレミアで放送されているドラマ『トンイ』。物語もいよいよ終盤で、最近は幼き世子と延礽君の育て方やふたりが政権争いの道具として利用されることが描かれているが、彼ら父親であるである19代王・粛宗(スクチョン)はどのように育って国王になったのだろうか。

粛宗は1661年に生まれた。18代王の顕宗(ヒョンジョン)の一人息子で、母親は明聖王后(ミョンソンワンフ)である。

明聖王后は『トンイ』の中にもよく出てくるので、時代劇が好きな人にはなじみがあるかもしれない。

粛宗が世子(セジャ)になったのは1667年だった。このときは6歳であった。6歳で世子になるというのは、当時としては平均的である。彼は顕宗の一人息子なので、世子になるのは当然の決定であった。

政治に口を挟んだ明聖王后

父親の顕宗は、政治的には弱い国王だったと言われている。粛宗が生まれた1661年当時は、高官たちの立場がとても強くて顕宗は国王としての指導力を発揮することができなかった。

明聖王后はとても気が強かったので、夫である顕宗が王権を発揮できなかったことを悔しがっていたという。それだけに明聖王后は、我が子が強い国王になれるように強気に育てたという。それだけに粛宗というのは、母親によって1から10まで育てられた息子だったと言える。

粛宗の妻は仁敬王后(インギョンワンフ)で、粛宗とは同い年だった。世子嬪になったのは1670年で9歳だった。つまり、粛宗夫婦は10歳にならないうちから結婚生活を始めていたのだ。

顕宗が世を去ったのは1674年だ。すぐに粛宗が13歳で即位して19代王になった。それに合わせて、仁敬王后が王妃になった。

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ドラマ『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じた(写真=SPORTS KOREA)


明聖王后は大妃(テビ/王の母)になり、粛宗が王になったばかりのころはまだ未成年だったので、母親が政治にやたらと口を挟んだ。それゆえ、高官から苦情が出たこともたびたびだった。

このように粛宗の育ち方を見ると、父親の顕宗より母親の明聖王后の影響力が本当に大きかった。言ってみれば、粛宗は明聖王后の資質をすべて受け継いで国王としての長い統治を初めて行なったのである。

文=大地 康

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