なぜ韓国時代劇には「人を呪い殺す場面」があんなにも多いのか

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どんな歴史を描いたドラマでも、「人を呪い殺すための儀式」を取り上げた場面がよく出でくる。そういうシーンというのは、いわば時代劇の定番であり、たとえば『トンイ』を見ていても、標的を呪い殺そうという場面が何度も登場していた。

「朝鮮王朝にはそんなに呪詛(じゅそ)が多かったの?」

そんなふうに疑問に思った視聴者も多いことだろう。

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事実、朝鮮王宮では呪詛が多かったと言われている。

それは、権力を覆そうとする勢力が使う常套手段であったし、当時は本当に人を呪い殺せると信じていた人が確実にいたのであった。

これは、宗教観にも関係している。

3000年以上の歴史を誇るシャーマニズム文化一巫堂(写真出典=韓国観光公社)

複雑な人間関係

実は、朝鮮王朝時代に広く浸透した儒教というのは、宗教というより生活規範であった。しかも、仏教が排斥されていて大っぴらに信仰することはできなかった。そんな状況の中で多くの人が信仰していたのが原始宗教とも呼ばれるシャーマニズムだ。

これは、シャーマンと呼ばれる霊能者を介して霊に関わる呪術を行なう風習であった。このシャーマンは主に巫堂(ムーダン)と呼ばれ、霊的能力を通じて死者と会話したりすることもあった。そして、人間の行ないは神霊によって決定されるという信仰が根強く残り、信奉者は巫堂を頼りにするようになった。その過程で、自分が嫌う人に呪いをかけてほしいと願う人が現れたのだ。

現代の感覚でいえば、「まさか人を呪い殺すなんて」と思われるかもしれないが、朝鮮王朝時代はその「まさか」が現実味を帯びており、特に王宮の中では高貴な人が巫堂を重用しすぎて、いろいろな呪詛事件が起こってしまっていた。

『トンイ』でも描かれたように、あの張禧嬪(チャン・ヒビン)も、最終的には仁顕(イニョン)王后を呪詛した罪で死罪になっている。このように、呪詛を仕掛けて相手が本当に死んでしまうと、呪詛を依頼した人は大罪となった。

それだけに、呪詛を行なうのは命がけであった。それでも呪詛はなくならなかったというから、世の中には「この人に死んでほしい」と願う人が意外に多かったに違いない。人間関係は昔も今も本当に複雑なものなのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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