8月4日からテレビ東京の韓流プレミアでスタートした『トンイ』。第1話は1681年から物語が始まっていたが、早くも派閥闘争の“南人派VS西人派”の対決姿勢が描かれていた。このあたりの闘争がわからないとドラマの理解が難しくなるので、最初から時代背景を解説しておこう。
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朝鮮王朝で高官同士の主導権争いが激しくなってきたのは17世紀後半だ。そんな時期に勢力が強くなったのが南人派と西人派。彼らは政策をめぐっていつも対立した。
ところが、19代王・粛宗(スクチョン)はとても賢い国王であり、官僚の力が強すぎると王権が脅かされることを知り抜いていた。
そこで、それぞれの派閥を競わせてお互いが消耗するように働きかけることが多かった。それによって、粛宗の統治時代は王権が強化されたと称されている。『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じたが、史実の彼は高官の扱い方が巧みであったのだ。
そうした状況の中で、相手より優位に立とうとした西人派と南人派。支持する宮廷女性は完全に分かれていて、仁顕(イニョン)王后を支えたのが西人派、張禧嬪(チャン・ヒビン)を支持したのが南人派だった。
1680年以降、西人派と南人派の勢力は拮抗していたが、張禧嬪が1688年に粛宗の長男を出産してから南人派が強くなり、1689年に仁顕王后が廃妃になって張禧嬪が王妃になると西人派の勢いが衰えて南人派がさらに強くなった。
けれど、ハン・ヒョジュが演じたトンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の登場が派閥の流れを変えた。仁顕王后を慕っていた彼女が粛宗の寵愛を受けるようになり、西人派が完全に勢いを取り戻したのだ。
そして、1694年には張禧嬪が側室に降格してしまい、仁顕王后が再び王妃に戻った。しかも、同年秋に淑嬪・崔氏が粛宗の二男(後の英祖〔ヨンジョ〕)を産んで、西人派の優位が確定していった。
こうしてみると、高官同士の派閥闘争は宮廷女性の動きによって様相を大きく変えていたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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