【検証】イ・サンが長生きしていたらソウルは首都にはならなかった?

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時代劇には傑作だと言われる作品がいくつもあるが、イ・ビョンフン監督がメガホンを取った『イ・サン』も、本当に評価が高いドラマだ。

イ・ソジンが扮した主人公は、数々の逆境にもめげずに名君への道をひたすら歩んだ。その姿に勇気づけられた視聴者も多かったことだろう。

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ドラマで描かれたように、イ・サンこと正祖(チョンジョ)は、朝鮮王朝後期の名君として、善政を行なって政治的な業績をたくさん残している。

それだけではない。正祖が今も韓国の人たちに尊敬されているのは、大変な親孝行だったことだ。彼の父の思悼世子(サドセジャ)は、米びつの中で餓死するという非業の死を遂げている。そんな父親をずっと敬慕していた正祖は、自分が即位してから父の名誉を回復することを次々に行なっていった。

ドラマ『イ・サン』ではイ・ソジンが正祖を演じた

正祖が夢見た遷都

まず、正祖は都の北に位置する楊州(ヤンジュ)にあった思悼世子の墓を移転させようとした。風水で適地を探したのだ。その結果、新しい移転先となったのが水原(スウォン)だった。都の南にあって、風水で最高の場所と認定されたからだ。

こうして立派な陵墓が作られ、「顕父に隆盛で報いる」という意味を持つ顕隆園(ヒョンニュンウォン)と名付けられた(現在では隆健陵(ユンゴンヌン)という名前に変更されている)。

こうして思悼世子の陵墓を水原に整備した正祖は、墓参りにひんぱんに出かけて、父を心から追慕していた。

その気持ちがどんどん高まって、ついに正祖は水原に都を遷都しようと決心するに至った。彼の意志はとても固く、1794年2月から本格的な工事まで始まった。

その工事は当時として画期的な起重機まで導入され、急ピッチで進んだ。その結果、わずか2年6カ月で周囲6キロの城郭が見事に完成していった。

それが今も水原の誇りになっている華城(ファソン)である。世界文化遺産に登録されており、多くの観光客を集めている。

ただし、正祖が夢見た遷都は実現しなかった。彼が1800年に急死したからだ。もし長生きしていたら、今の韓国の首都もソウルでなくて水原だったかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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