『馬医』と『ヘチ』をつなげる「悲劇の王族」とは誰のことなのか

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テレビ東京の韓流プレミアで『馬医』の放送が始まった。

第1話では、昭顕(ソヒョン)世子(セジャ)の話が重要な出来事として出てくる。「時代劇の巨匠」と言われるイ・ビョンフン監督は、歴史上の重要事件を作品の序盤に持ってくることがとても多く、今回の『馬医』でもその定石が使われていた。

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物語は、『馬医』の主人公となるペク・クァンヒョン(チョ・スンウが演じている)の父親が、昭顕世子の毒殺事件に巻き込まれて処刑される展開になってしまう。

その事件というのは、歴史的にどういう経緯があったのだろうか。

(写真提供=韓国MBC『馬医』ポスター)

興味深い関係性

朝鮮王朝が1637年に清に屈服したとき、仁祖は屈辱的な謝罪をさせられたが、息子の昭顕世子は人質に取られてしまった。それから8年が過ぎて、昭顕世子はようやく帰国することができたが、その2カ月後に突然急死する。これに関連して、父親の仁祖が息子に王位を奪われるのを恐れて昭顕世子を毒殺したという疑惑が歴史上に残っている。

普通なら、父王が息子の世子を毒殺するというのは考えにくいのだが、仁祖はそういう許されないことをやってしまうような冷酷人間であった。

そして、『馬医』でも仁祖の陰謀を第1話から取り上げているのである。

犠牲になった昭顕世子だが、彼は「悲劇の世子」として朝鮮王朝の歴史でとても同情されているが、実は彼は『ヘチ 王座への道』でも、その名前がはっきりと記録されている。

それは、どんな場面なのだろうか。

『ヘチ 王座への道』には密豊君(ミルプングン)という極悪人の王族が出てくるのだが、この密豊君が昭顕世子のひ孫になっている。

そして、密豊君は「本来なら朝鮮王朝は自分たちのものだった」と恨みを述べていたのだった。確かに、昭顕世子が順当に王位を継いでいれば密豊君が王位に就く可能性があったと言えるが……。

このように、昭顕世子を通して、『ヘチ 王座への道』と『馬医』がストーリーの上でもつながっている部分があり、そこはとても興味深い関係性になっている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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『ヘチ』で悪事をさらす密豊君に同情すべき過去がある?

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