朝鮮王朝で「側室が産んだ子が多かった王様ベスト3」は誰か

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朝鮮王朝は一夫一婦制だったので、それに従って国王も正室は常に1人だった。正室が亡くなれば再婚するのが当たり前だったが、正室を同時に2人持つことはなかった。その代わり、側室をたくさん抱えていた。

朝鮮王朝は518年間続いたが、王朝の前半は国王が10人くらいの側室を持つのが常識だった。王朝の後半に入ると、国王が抱える側室は減っていき、3人から5人くらいというのが一般的であった。

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いずれにしても、国王は多くの側室を抱えていたので、それだけ側室から子供が生まれることも多かった。そして、正室に息子がいないときは側室から生まれた男子が国王として即位するようになった。

(写真=SPORTS KOREA)

そういう意味で、国王はできるだけ多くの息子を持っておきたいと考えていた。それが後継者を絶やさないための手段だったのだ。

そうした観点から側室が産んだ子供の数を調べていくと、圧倒的に側室に多くの子供を産ませた国王の名前が浮かび上がってくる。

成宗が側室に産ませた子供の人数は?

まず、側室に一番子供を産ませた国王は9代王の成宗(ソンジョン)だ。彼の子供は正室から3人、側室から25人生まれている。

成宗は、法律体系を整備した名君として知られているが、まさに「英雄色を好む」を実践した国王であった。

次に側室に多くの子供を産ませた国王は2人いて、2代王・定宗(チョンジョン)が23人、14代王の宣祖(ソンジョ)が同じく側室から23人産んでいる。

ただし、定宗の場合は正室からは1人も生まれていないのに対し、宣祖は正室が2人の子供を産んでいる。

以上、側室に多くの子供を産ませた国王としては、1位の成宗が25人、2位は定宗と宣祖が23人となっている。

このようにベスト3の国王を紹介してきたが、子だくさんといえば、ハングルを作ったことで名君と称された4代王の世宗(セジョン)もよく知られている。

彼の場合、側室から生まれたのは12人だが、正室も10人産んでいる。史上最高の名君もとても「お盛ん」だったのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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