トンイの粛宗だけじゃない。朝鮮王朝の王様に「祖・宗・君」が多いのはなぜか

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朝鮮王朝の27人の王の名は死後に贈られた尊号である(「諡〔おくりな〕」と言う)。本人が生前にこの尊号で呼ばれたことはないのだが、現在では尊号で歴代王を呼称するのが常となっている。

よく見ると、尊号には「祖(チョ)」「宗(チョン)」「君(クン)」という文字のいずれかが付いている。わかりやすく言えば、業績のうえで一番格上が「祖」、次が「宗」、尊号が贈られなかった王が「君」ということになる。

ただし、「祖」と「宗」の違いは尊号を贈るときの政治状況が反映されていて、かならずしも業績が正当に評価されたものではない。

たとえば、4代王・世宗(セジョン)は民族固有の文字ハングルの創製を主導して今では“朝鮮王朝最高の聖君”と呼ばれているが、亡くなった直後はまだハングルの価値が高くなかったので、「祖」ではなく「宗」が付けられている。

その一方で、外国から侵攻を受けたときに不手際が多かった王でも、一応は国が滅ばずに済んだという名目で「祖」が付けられている。

歴代の王の業績は時代によって受け止め方が違う

14代王・宣祖(ソンジョ)や16代王・仁祖(インジョ)がそうだ。その後の歴史的評価では、とうてい「祖」にふさわしくないように思えるのだが……。

このように、歴代の王の業績というものは、時代によってかなり違った形で受け止められる。

なお、「君」がついている2人(10代王・燕山君(ヨンサングン)と15代王・光海君(クァンヘグン)はクーデターによって追放された王である。

いわば廃位となった王であり、尊号が贈られなかったので元来の通称名で今も呼ばれている。

もう一度、表に注目してその続柄を見てみると、誰もが納得する長男が即位している例が意外と少ないことがわかる。

歴代の王たちの位牌を祀った宗廟(写真=韓国観光公社)

本来は朝鮮王朝の王家には「王の後継者は正室が産んだ嫡男を第一候補にする」という原則があったのだが、その通りになった王は決して多くなかった。

果たして、朝鮮王朝の王を決める際に原則通りにならなかった理由はいったいなんなのだろうか。調べてみると、より朝鮮王朝時代のことについて詳しくなれるかもしれない。

文=康 熙奉

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