テレビ東京で放映中の『トンイ』。劇中で朝鮮王朝が清国の使節団を迎えることになり、トンイも使節団の接待係を任されることになるが、当時の朝鮮王朝と清国はどういう関係だったのだろうか。
結論的に言うと、当時の朝鮮王朝は清国に服従しなければならない関係だった。
その大きなキッカケとなったのが朝鮮王朝・第16代王の仁祖(インジョ)の時代の1637年1月30日に結ばれた「三田渡(サムジョンド)の盟約」だ。ドラマ『華政』でも描かれていたのでご存じの方もいるだろう。
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その前年、清国は朝鮮王朝に同盟ではなく、君臣関係を結ぶように迫る。仁祖はそう告げる清の臣下を殺してしまい、清国は仁祖による謝罪を要求しはじめた。
清の謝罪要求を無視し続けた仁祖だったが、清は12万の大軍を率いての実力行使に出る。圧倒的な戦力差の前に追い込まれた仁祖は、敗北を認めるしかなかった。このときの戦乱を韓国では「丙子胡乱(ピョンジャホラン)」という。
清が仁祖に求めたのは、彼自身が直接、清の皇帝の前で膝を折り謝罪すること。仁祖は漢江の川沿いにある三田渡の壇の上で、清の皇帝に謝罪する。この一件は、朝鮮王朝史上最大の屈辱として「三田渡の屈辱」と呼ばれるようになる。
このあたりはドラマ『花たちの戦い~宮廷残酷市~』でかなり衝撃的なシーンとして再現され描かれているのが、以降、朝鮮王朝は清国への服従を強いられ、その関係は清国が1895年に日清戦争で敗れるまで続くことになる。
つまり、『トンイ』の時代、すなわち粛宗(スクチョン)が在位した時代((1674年~1720年)も、朝鮮王朝は清国からの使節団をもてなさなければならなかったのだ。
構成=韓ドラ時代劇.com編集部
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