『太陽を抱く月』の主人公フォンは実在の王の中で誰に最も近いのか(後編)

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NHKの韓流プレミアで放送されている韓国時代劇『太陽を抱く月』に登場する主人公のフォンが、実在した朝鮮王朝の王の中で誰に近いのかという検証を行なっている。

前編では8代王の睿宗が即位したとこまで紹介しました。ここからさらに検証を進めていきます。果たして9代王・フォンと成宗にはどんな共通点があるのだろうか。

1469年、睿宗が即位1年で急死してしまう。後継者も指名されていなかったため、世祖の妻である貞熹(チョンヒ)王后が、次の王としてまだ12歳だった成宗を指名した。こうして、成宗が即位し、成人するまでの間は貞熹王后が代理政治を行なった。

実の兄・月山君(ウォルサングン)を差し置いて弟の成宗が王に指名された背景には、できるだけ長い期間、政治の実権を握っていたいという貞熹王后の思惑があった。

しかし、成宗自身は月山君との兄弟愛を大事にしていた。

その証拠に、成宗は兄のために高い官職を与えたり、後に王宮・徳寿宮(トクスグン)として使われる離宮を建立してプレゼントしたりもした。フォンにも陽明君(ヤンミョングン)という異母兄がおり、敬愛する兄を差し置いて王になったという関係は、成宗とイ・フォンのもっとも共通する部分だろう。

フォンと成宗を繋ぐ意味深長な符号

また、『太陽を抱く月』の冒頭では、フォンの父・成祖の異母弟ウィソン君が、王権の脅威になるとして大妃イン氏に殺害されている。成宗にも似たようなことがあった。

それが、世祖の異母弟の息子・亀城君(クソングン)の存在だ。彼は文武両道の優秀な人物で人望にも篤かった。

そのため、成宗が12歳という幼さで即位すると、亀城君を王にしようとする動きが起きてしまう。

その動きを敏感に察知した貞熹王后は、亀城君を地方に配流してしまった。優秀な宗親の存在は、王権にとって最大の脅威だったのだ。

ドラマ『太陽を抱く月』でイ・フォン演じたキム・スヒョン

成人になり貞熹王后の代理政治を終えた成宗は、教育と文化の振興に力を注いだ。さらに、法令の整備にも尽力して儒教的統治秩序の基盤を作りあげ、国防を強化して民心を安定させた。

「すべての基礎を完成させた」ことから、彼には「成宗」という尊号が贈られた。

『太陽を抱く月』の主人公フォンの父の名は成祖(ソンジョ)である。これもフォンと成宗を繋ぐ意味深長な符号かもしれない。

現在、NHKの韓流プレミアで放送中の『太陽を抱く月』に登場するのは架空の王とはいえ、実際の朝鮮王朝の歴史と重なるようなところがあるかもしれない。

そういったところにも注目すれば、よりドラマを面白く見ることができるのではないだろうか。

(構成=大地 康)

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