史実で読み解く『トンイ』⑰王妃が復帰した後の王宮でどんな戦いが続いたのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『トンイ』。後半では、王妃から側室に降格した張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)と再び王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)の動向が詳しく描かれていた。ただし、創作されたエピソードが多いので、ここでは史実に基づいた話だけを披露していこう。

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1694年春に再び王妃となった仁顕王后だが、体調がずっと良くなかった。もともと病弱で、医者の手を借りることが多かった。1689年に廃妃となり、その後は質素な生活を続けていた。「自分は罪人だから」ということを自覚し、栄養のある食事をあまり取らなかった。

それゆえ、粗末な家で過ごしている時も体調が良くなかった。そんな生活を5年続けて、ようやく王妃に復帰して王宮に戻ってきた。今度は手厚い看護を受けられる身分であったが、やはり病弱な体質は改善されず、臥せってしまうことも多かった。それは、周囲のみんなが心配するほどであった。

一方の張禧嬪はどうだったか。彼女は王妃から側室に降格になった後も、自分の立場を強固にするための策略をめぐらしていた。なんと言っても、世子の母親である。

1688年に生まれた世子は、粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)の次の王位が確定していたので、王宮の中でも丁重に育てられた。しかし、この世子も病弱だった。そのことを張禧嬪は隠し通そうとして必死だった。そこまで心配するのは、1694年秋にトンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が王子を産んでいたからだ。

『トンイ』
仁顕王后(演者パク・ハソン)と張禧嬪(演者イ・ソヨン)

三者三様の様相

あまりに世子が病弱だと淑嬪・崔氏が産んだ王子に取って代わられる恐れがあった。それゆえ張禧嬪は徹底的に淑嬪・崔氏の動向を監視した。隙があれば王宮から追い出そうという魂胆だった。

以上のように、1694年以降は三者三様の様相を呈していた。病弱な仁顕王后、世子を必死に守り抜く張禧嬪、そして、生まれた後の王子を優しく育てる淑嬪・崔氏。この3人の運命が終結していくのが1701年であった。この年に仁顕王后が世を去り、王宮は大騒動に巻き込まれていく…。

文=康 熙奉(カン・ヒボン) 

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